2024年9月2日月曜日

デ1号電源車⑩

万田坑デ1号の車端部の装備を見てみます。まずは前位側から🐱
ところでどっちが前?外枠に書かれた丸数字(位置呼称)によれば、①と②がある浜側が前位となり、機器箱側は③と④なので後位です。ちなみにデ形以外の貨車についても浜側を前位としていました(機関車は車種によって異なります)。以下、装備品3点を取り上げます。


①標識灯

標識灯、すなわち尾灯1つが①位寄りに設けられています。現役時代は点灯していたシーンを見た記憶がありませんが、うれしいことに展示運転では灯されていました。まわりが明るいので、気付かれにくいのが難点。標識灯自体は20トン電車と同型のものに見えます。運転席妻面には”電源車標識灯”のスイッチがあります。




②ステップ

車端の①位寄りと②位寄りにステップが取り付けられています。黄色く塗られていて、かなり目立つパーツです。網抜けのステップはそれぞれ形態が異なり、①位側は四角、②位側は五角形でかつ外向きにひねる角度が付けられています。②位側は運転席のある側となりますが、20トン電車自体は運転席側にしかステップはなく角度があることも同様で、機関車に仕様を合わせたかたちです。なお、①位外枠には何か切り落とした痕跡があるので、①位側ステップは後付けかも知れません。



②位側ステップは運転席から操車掛の挙動が見易く、手すりも黄色く塗られているので原則的にはこちら使用なのかなと思って写真を見返しましたが、そうでもなかったです。そもそもステップ添乗の写真は意外なほど撮っていませんでした。コンテナ車の入線以降は、デ形側に貨車を連結するという入換パターンがほとんどなかったことも関係しているのかも。参考までに両ステップ添乗の写真を挙げておきます(1枚目は変則)。



③排障器

今回この記事を書いていて、デ1号に変化があることに気付きました🐱本来、前位床下に排障器(先端はゴム?)がありました。編成先頭になることも多かったデ形ならではの装備でしたが、現在のデ1号は失くしています。過去写真を探すと、2022(R4)年9月の保守運転最終日にはまだ装備していましたので、2023(R5)年1月の万田坑陸送の際に外されたのではと推測します。排障器はいずこへ・・・


2024年8月25日日曜日

三池の絵葉書から② 宮浦駅


マイコレクションから宮浦坑の古絵葉書🐱
江崎文化堂(大牟田市有明町)発行の「最も新らしき大牟田名所絵葉書」組より、「三池名勝(VIEWS OF MIIKE) 宮の浦坑」です。ご覧のように、この名勝シリーズは鮮明な印刷でコレクションの愉しみとなります。撮影対象の登場時期から昭和10年前後の三池風景と推測しますが、三池の絵葉書は明治~大正期のものが大部分なので、昭和戦前期の映像資料として貴重です。

宮浦坑は官営三池末期の1888(M21)年3月に第一立坑が竣工。木造櫓のため、絵葉書では黒っぽく写っています。その後、第二立坑(排気坑)が1919(T8)年6月に着炭、大斜坑は1923(T12)年11月に貫通しました。第一と第二坑がそれぞれ1947年1951年に閉坑したあとも大斜坑が主力坑口として操業しましたが、採炭区域が海底炭層に移ったことにより1969(S44)年1月に三川坑に統合され、明治以来の歴史を閉じました。なお宮浦坑の閉坑により、馬渡・勝立地区からの鉱員輸送を担った勝立線(宮浦~東谷)が廃止されました。

宮浦坑の跡地は、一部が宮浦石炭記念公園となっています。絵葉書にも見える汽缶場煙突をシンボルに大斜坑坑口跡、第一坑基礎跡などの坑外施設、および坑内機械が展示されています。公園以外の跡地は工場敷地に転用されたたため、遺構らしきものは残っていません。大斜坑曳揚機室は1990年頃までは残っていたと記憶しますが、あまり記録できないまま無くなってしまいました。



宮浦坑の足元にみえる宮浦操車場の車両に注目してみましょう。
左側に見える蒸気機関車は、おそらくポーター製のサドルタンク機、8~16号の大所帯をかまえ、三池を代表する蒸気機関車です。一方、右側には20トン電車が貨物列車を牽いていますが、車体拡幅前の姿で、ボンネット先端のヘッドランプが見えています。港~宮浦間の電化は1920(T9)年10月、宮浦~浜間も1933(S8)年11月に完成していますが、染料工場等の入換用として蒸気機関車が久しく活躍しました。宮浦駅の無煙化(最後の蒸気機関車)は、じつに1963(S38)年の電源車デ形の登場まで俟たなくてはなりません。

20トン電車がひく貨物列車は、前2両は無蓋車(大型車はハロ形ぽい)、以降は石炭車が5両繋がっています。4両はセヤ形および新セヤ形(いずれも8トン積み)ですが、左から2両目だけは側柱が見えるので7トン積み車(イ形)のようです。7トン車は鉄製台枠に木製の炭箱を載せた石炭車(もとは払い下げ)ですが、1934(S9)年に全廃されていますので、絵葉書の撮影時期のヒントとなります。
蒸気機関車の後ろに並ぶのは無側車(平台車)といわれる貨車で、ヒナ・ヒヤ形といった各形式、右隅の選炭場付近にはセヤ形が密集しています。蒸機・電機と宮浦3坑が同時に写った映像というのは実はとても珍しいです。三池絵葉書のなかでは比較的安価に流通しているので、コレクションにお薦めの一葉。

2024年8月3日土曜日

電源車デ形について③


東芝社報「三井鉱山三池港務所電源車 新設計蓄電池を搭載」(*1)より、電源車デ形についての3回目になります。タイトルに”新設計蓄電池”とあるように、メインテーマはあくまで蓄電池としています。当然ながら専門的な内容となっていますので、わたしには・・・さっぱりな内容なので、興味ある方はお読みいただければと思います。

すでに現状(デ1号)の蓄電池と電池箱は取り上げました。
デ1号電源車⑨

下記写真は文献(*1)より引用、蓄電池(型式VGKM-300型)および電池箱の外観になります。蓄電池は12Vのモノブロック構造(電池箱1つに4ブロックで48V)、天面に立つ白い筒状のものは自動保液器(精製水を自動補給)と防爆形排気栓で、1ブロックに6個付いています。自動保液器は現状では無くなった機器だと思います。”300”は蓄電池容量(300Ah)で、これは現状の2/3ほどでした。


電池箱は現状のものと大差ありません。天蓋の止め具は無くなりましたが、新たに両脇に把手が付きました。電池箱を結ぶ連結栓は小型のものに交換されました。


鉛電池の寿命は一般的には15年前後(充放電のサイクル数や過充電・過放電等による劣化要因に左右される)とされるので、おそらく3回ほどは蓄電池交換がされたのではと推測されます。デ1号が保存車両に選定されたのも、蓄電池の経年数が短かったためと聞きました。


(*1)鵜沢正治・山司房太郎「三井鉱山三池港務所電源車 新設計蓄電池を搭載」『東芝レビュー1963(S38)年10月号』東京芝浦電気発行

2024年7月21日日曜日

デ1号電源車⑨

本題の前に。
炭鉱電車ステーションゼロの特設サイトが更新され、7月8月の公開日が発表されました。
公開日は今までと同様の第3土日曜ですが、夏休みスペシャルと称して入場料、乗車体験料がお得な設定となっています。チラシ(PDF12.5MB)は凝ったものでセンスよいですね。社内にデザイン好きな方がいるのでしょうか。


万田坑のデ1号観察を続けます。
ようやく~、デ1号の心臓部といえる蓄電池を見てみます。運転終了後の整備点検を見ることができました。


”蓄電池”をもっと間近で見たいという需要があるとは思えませんが、アップにした写真も挙げておきます(写真はデ3号のもの)。セルは5列5行で隙間なく並んでいます。真ん中ひとつはスペーサーなので全部で24セル。1セル2Vを直列で繋いで48V。10箱並べて480Vを確保しています。端子の間に見えるのはフロート液口栓で、精製水の液量チェック、兼注ぎ口となります。


電池箱の内側にラベルが貼ってありましたので、型式を覗き見ます。GSユアサ製の電気車用蓄電池”VGDS480-1形”とありました。同社HPで調べると、Vシリーズと呼ばれる電動車やフォークリフト向けの鉛蓄電池です。製品一覧に該当型式はないので、おそらくオーダー品だと思われます。型式にある”S”は何らかのオプション、”480”は蓄電池容量(5時間率容量480Ah)でしょう。


せっかくなのでオープン状態の蓄電池箱をみてみましょう。天蓋は平面ではなく、外側に向けてわずかに傾斜しています。天板裏に張られたは白いマットは遮熱材でしょうか。また通風孔が外側以外の三面にありますが、これは充電時に発生する水素ガスを逃がすためと思われます。




2024年7月7日日曜日

デ1号電源車⑧

デ1号電源車の制動(ブレーキ)について。
まずハコ1号から引き継いだ側ブレーキ装置から。種車ハコ形は側ブレーキのみで、片輪のみに、内側から片押しで掛かる仕様でした。制動力としては貧弱ですが、三池では標準仕様。
写真は”側ブレーキてこ止め装置”と呼ばれるもの。上がブレーキをかけていない状態(緩解)、下がブレーキをかけた状態(緊締)となります。テコの先端と、ラックハンドルが黄色く塗られているのはデ形のみの特徴。ハコ1号の製造年(1942(S17)年)からすると、元々はピンによってテコを固定する”ピン止め形”という方式(*1)のはずで、現在のラック形(ブレーキイージー13形)となったのは、デ形改造以降だと思われます。



デ形の製造時は側ブレーキのみでしたが、1965(S40)年6月竣工で空気ブレーキが取り付けられました。製造後1年ほどは各種試験的な運転となっていたので、その間に現場からブレーキの効きが悪いといった声が上がったのかも。デ1号の写真はうまく撮れていなかったので、1枚目は同型のデ4号から、2枚目は更新車のデ3号から。デ3号には床下機器がないので、配管を含めた機構がよく見えます。



ブレーキシリンダー(制動筒)のみとなっているので”直通空気ブレーキ”ですね。構造的には機関車のブレーキの一部となり、シリンダーを動かすエアーは機関車から直接供給されます。一般的な貨車は、”自動空気ブレーキ”として補助空気溜と三動弁が加わり、万が一の車輌分離の際に、その名の通り”自動”制動が掛かります。直通空気ブレーキは機関車と分離してもブレーキは作用しないリスクがありますが、構造がシンプルなのと、機関車からの反応がよいというメリットがあります。検査時以外は20トン電車と連結を解くことはないため、デ形ならではの特徴といえます。


デ形の台車は既に取り上げ済みですが、4輪すべてに両抱え式で制輪子が掛かります。三池貨車としては例外的な制動強化となっています。おそらく空気ブレーキ取り付けと同時改造と思われます。

デ1号電源車⑤
https://ushiyan-tantetsu.blogspot.com/2024/06/1.html

余談ですが、展示線にて逸走が起きた非常時の対策として、北(宮浦)側レイルにはカーキャッチャー(制動靴)がセットされていました。逸走時にはカーキャッチャーが車輪を受け止めて、レイルとの摩擦によって制動をかける機器になります。



(*1)ハト形無蓋車等に見られます。

2024年6月30日日曜日

デ1号電源車⑦

しつこくデ1号電源車を舐めまわしていますが、まだ続けます。今回は床下機器を見てみましょう。デ1号には矢印の位置に5個の箱型機器が下がっています。同型のデ4号も同じ機器配置ですが、更新されたデ3号には無いものになります。



文献(*1)によれば、床下機器は充電抵抗器となっています。このうち、4位車端側にある機器Aのみ形態が異なっています。巻かれたケーブルは機器箱から繋がっているようです。


左右床下に2個づつ、計4つある機器Bです。蝶番がありますがボルト締めしてあるので、通常は開かないと思われます。天面の円盤は、抵抗器の熱を逃がすベンチレターでしょうか。






(*1)鵜沢正治・山司房太郎「三井鉱山三池港務所電源車 新設計蓄電池を搭載」『東芝レビュー1963(S38)年10月号』東京芝浦電気発行

2024年6月21日金曜日

デ1号電源車⑥

デ1号電源車の機器箱、何が入っているか気になりませんか😹
隠れたものは見たくなる、その性(さが)には抗えぬという訳で、はい御開帳。


以下、フルオープンの写真は同型のデ4号から。ツナギ図(*1)をもとに、各機器を推測します。機器箱の蓋は2つに分かれているので、まずは20トン電車との連結栓のある4位側から。プラス、マイナスそれぞれに自動遮断器(ブレーカー)が付いています。ACBとあるのは気中遮断器のこと。電源車電路の最初の機器になります。型式年式までは見ていませんが、傘マークの東芝が書かれているのでかなり古いものでは(製造当初のものかも)。



3位側はこんな感じ。中央寄りの機器はバネが見えるので電磁接触器だと思います。ツナギ図では、Lは断流器、CCは充電接触器となっています。手前側の機器はRCRY、CCBと書かれていますが、これは何でしょう(;'∀')。一番手前のかげに隠れていますが、緑の筒状のものは抵抗器だと思います。


機器箱蓋の裏には小さなシールが貼ってありました。拡大すると、蓄電池の取り扱いについての注意事項が書かれています。




(*1)鵜沢正治・山司房太郎「三井鉱山三池港務所電源車 新設計蓄電池を搭載」『東芝レビュー1963(S38)年10月号』東京芝浦電気発行

2024年6月14日金曜日

デ1号電源車⑤

4月より毎月2日間(第2第4日曜)の定期運転も安定してきた万田坑の12号電車+デ1号電源車。なぜか天気に恵まれない日が連続しましたが、雨天かまわず決行されています😹

今回はデ1号の台車周りを見てみます。
デ1号は、ハコ1号15トン積み無蓋車の改造(1962(S37)年)です。ハコ1号は1942(S17)年若松車輌製。ハコ時代の姿は未発見なため詳細は不明ですが、同世代の国鉄無蓋車の規格に倣ったと思われ、当時としてはスタンダードな、一段リンク式台車となっています。



両抱え式のブレーキ、また4輪すべてに掛かる仕様なのは三池貨車としては珍しい事例で、おそらく20トン電車の制動力を高める意味があったと思われます。車輪は一体圧延となっていますが、古い写真を見るとスポーク車輪でしたので、いつの間にか交換されたようです。

2024年5月27日月曜日

電源車デ形について②

前記事はこちらになります。

東芝社報より「三井鉱山三池港務所電源車 新設計蓄電池を搭載」(*1)から、電源車デ形についての2回目、「電源車を利用した際のおもな利点」を読んでみます。


この記事は、電源車全般に加えて三池港務所の事情にも触れており、当時の蒸気機関車の使用状況のまたとない資料となっています。蒸気機関車は宮浦駅周辺の工場引込線の入換が主な仕業で、宮浦操車場(電化済み)と工場線(無架線)の間をつなぐ役目になります。
以下、長い引用になりますがメリットとして8項目(プラス1)があげられています。

①「老朽化した蒸気機関車を全廃することができて運転費、保守費が軽減された」

蒸気機関車の運転コストをなくすことが電源車導入の第一義なので、このことが筆頭に書かれています。保守作業が無くなることも大きなメリットでした。万田駅の汽関庫からトコトコ回送してくるのも時代に合わなくなったようで。

②「ボイラの灰落としによる無駄な時間がなくなり作業効率が向上した」

これは後で述べる⑥とも関係しますが、蒸気機関車特有の仕業前後の整備作業がなくなるメリットです。実働時間が延び、かつ人員の削減につながります。

③「本線と引込線との接合部でその都度蒸気機関車と電気機関車のツナギ替えをおこなう必要がなくなり、また在来の電気機関車を有効に運転できるので就業効率が向上した」

蒸気機関車の主な用途は、工場内の入換(同じような状況の三池浜駅もか)でしたが、本線(宮浦操車場)から無架線の工場内まで機関車付け替えなしで電気機関車が入線できるようになりました。

④「従来使用していた蒸気機関車はけん引力が小さく特定の場所では重連運転しなければならなかったが、電気機関車に代わったためにけん引力が大きくなり、重連運転の必要がなくなったので運搬効率が向上した」

SL重連が必要だったという特定の場所、気になりますね。宮浦駅の東側、化学工場側は一番奥のガス工場まで緩やかな上り勾配ですが、はたして重連を必要とするまでだったのか。わたしは宮浦駅の西側、小高くなった宮浦坑への引込線かなと思っています。いまは線路跡の痕跡が無いのでイメージし辛いのですが、配線図によれば現在の宮浦石炭記念公園あたりまで線路が引き込まれていました。

⑤「架線区間で万一停電が起きても電源車の電池が電源となり運転を継続することができるので、作業に支障を来すことが無く便利である」

停電となることがしばしばあったのかな🙀

⑥「必要な時にいつでも即座に使用することができて便利である」

一般的には蒸気機関車の運転準備(石炭を焚いて缶圧が上がるまで)に2時間を要するとされます。

⑦「蒸気機関車とは異なり機関助手は不要で人員の削減ができる」

これは①とも関係していますが、人員コストの面でのメリットになります。

⑧「煤煙が一掃されたので運転手、信号手や沿線の人々は汚れないため大喜びであり環境が著しく改善された」

無煙化の一般的なメリットです。宮浦駅周囲にはあまり民家はありませんが。
ちなみに鹿児島本線の無煙化は1974(S49)年でした。大牟田荒尾入換用の蒸気機関車(C11形)が残りました。

「この外電源車を使用すると隣り合っている架線区間の間に無架線区間が挟まっていて普通電気機関車のままでは隣りに移動できない場合でも電源車が連結されていると容易に移動できる」

これは③と同様な内容になります。機関車付け替えが無くなったメリットが繰り返して強調されています。



(*1)鵜沢正治・山司房太郎『東芝レビュー1963(S38)年10月号』東京芝浦電気発行


2024年5月20日月曜日

炭鉱電車ステーションゼロはこう行く

 2024(R6)年4月20日にオープンした”炭鉱電車ステーションゼロ”(以下、ステーションゼロと略)。追って当面は毎月第3土日の公開(10:00~16:00)と発表されました。会場の様子はSNSでボチボチとあがってきましたが、当初は”どこにあるのかよく分からない”という声もチラホラ。ようやく待望の公式サイトがアップされ、駐車場の案内が加わりました。

白石ホールディングスHP(ステーションゼロ)

白石グループインスタグラム

グーグルマップでは最寄り駅を西鉄新栄町駅とすると最短850mと出ます。徒歩で12分。ちなみに大牟田駅からだと1.5km、わたしならレンタサイクルの一択かな。適当なバス路線はありません。

さっさと炭鉱電車見て帰るわ!というセッカチな御仁をのぞき、折角なら三池鉄道の歴史の一片を見てほしいと思います。そこで廃線跡の寄り道資料を作ってみました。宮浦~三池浜間の通称「浜線」、残念ながら線路跡を歩くことは出来ませんが(パイプライン敷地として活用)、築堤区間のため多くの橋梁が架けられています。
以下、新栄町駅から7つの橋梁を確認しながらステーションゼロまで辿ってみましょう。



①栄町架道橋


グーグルストリートビューより(新栄町駅側)

グーグルストリートビューより(大牟田駅側)

新栄町駅から南(大牟田駅)方向に歩くと、最初に着く架道橋です。くぐると大牟田市栄町となります。大牟田の商店街の一角ということからか、橋桁はギリシャ?風なモニュメントで両側を挟まれ、橋台もストリートアートの壁面として隠されています。遠目では鉄道跡に気付けないもかもしれません。


ところで、栄町には1970(S45)年4月まで西鉄栄町駅(新栄町駅開業につき廃止)がありました。以下のリンクは西鉄HPより、駅前にあった栄町架道橋(1970年)がばっちり写っています。それにしても駅前は人と車が多い!

西鉄Webミュージアム/沿線風景アーカイブス/栄町


②紡績前架道橋


グーグルストリートビューより(新栄町駅側)

グーグルストリートビューより(大牟田駅側)

”紡績”とは曰くありげな名称、現在の新栄町駅前はかつて三池紡績(のちに鐘淵紡績三池工場)でした。1891(M24)年より操業とあり浜線敷設と同時期になります。当初は九州最大の紡績工場でした。
この架道橋の見どころはふたつ。まずは橋脚に支えられて長短に分かれた橋桁。おそらくですが、広い方は軌道線を越えていたと思われます。1878(M11)年に大浦坑~船積場を結ぶ馬車軌道が敷設されました。三池鉄道の始祖的存在ですが、1899(M32)年に輸送ルートの変更により大部分は廃止されましたが、この軌道本線より紡績工場の引込線が分岐していました。大牟田港との間で綿花やボイラーの燃料炭を運び、1938(S13)年まで使用されています。
もうひとつの見どころは、橋台と橋脚の床石(橋桁を承ける石材)が高低に2つあることです。低い方は1891(M24)年11月敷設された際の当初の位置のもの。その後、九州鉄道(現在の西鉄大牟田線)の栄町延伸(1938(S13)年)により、三池鉄道側が嵩上げ工事を施して1939(S14)年8月に竣工しています。おそらく栄町架道橋にも同様の遺構があると予想されるのですが・・・

橋のたもとにあった"ガード下食堂"はちょっと知られていました。写真でみるように、建屋の一部が橋脚に食い込むような面白い店屋でした。橋向こうが新栄町駅の駅前(紡績工場跡)になります。名物はちゃんぽんで、店先では万十も売ってましたね。




③明治町架道橋


グーグルストリートビューより(新栄町駅側)


グーグルストリートビューより(大牟田駅側)

片側2車線の県道18号を越える長いスパンの架道橋です。明治町はこのあたりの町名ですが、橋をくぐって大牟田川(大正橋)をわたると大正町。ちなみに大牟田には明治大正昭和まで元号の町名が揃っています。
古い地図ではこの区間は築堤となっており、架道橋は後から架けられたもので、橋台はコンクリートとなっています。橋桁には三池製作所1954(S29)年9月竣工の銘板が見つかります。三作がまだ三井鉱山の事業所だった頃。また、明治町架道橋がまだ無かった頃には、大牟田川川岸にあった横須坑木倉庫に下りていく引込線がこのあたりから分岐していました。



④№1開渠


グーグルストリートビューより(新栄町駅側)

グーグルストリートビューより(大牟田駅側)

名称は開渠となっていますが、実態は蓋がされて暗渠となっています。人が通れる程の幅しかありません。築堤と大牟田川とのあいだが、かつての横須坑木倉庫跡。どうやら水中貯木場があったらしく、暗渠はそこに通じる水路でした。




⑤稲荷川橋梁


この区間では河川を越える唯一の橋梁です。稲荷川は大部分が暗渠ですが、この橋梁付近のみ姿を現しています。残念ながら、煉瓦積みの橋台に近づく手段がありません。




⑥横須架道橋


グーグルストリートビューより(新栄町駅側)

グーグルストリートビューより(大牟田駅側)

”横須”はかつての横須村に由来しますが、町名としては継がれませんでした。越えていく道路は大牟田川の中島橋に通じています。この中島橋は官営の馬車軌道時代に大牟田川を堰き止めた水門(第一水門)があったところで、川中の”中島”に指揮所がありました。中島橋の上流側はかつての石炭船積場(のちに坑木置場となった)となり、いまも川幅が広いのはその名残と思われます。
さて橋台をみると、橋桁の床石が2線分並んでいます。新栄町側は本線跡ですが、大牟田川側は横須船積場の高架桟橋へと通じていた線路跡になります。ポイントはさきほどの稲荷川橋梁とのあいだにあったようです。三池港の開港以前は、船渠となっていた横須船積場にて石炭船積みが行われました。高架桟橋や船渠の遺構はありませんが、ステーションゼロそばの明治町ポンプ場が船渠跡になります。




⑦北磯架道橋


グーグルストリートビューより(新栄町駅側)

架道橋上より、左に振り向くとステーションゼロ

ステーションゼロの東端に接する架道橋です。住吉橋(大牟田川)に通じる道路を越えていますが、コンクリート桁なので道路からはほとんど気付かないでしょう。交通量がありますが、明治町架道橋同様、あとから架けられたものです。写真は北磯架道橋を三池浜駅跡側から撮ったもの。橋上には枕木が残っていました。撮影の立ち位置は、今はステーションゼロの敷地内になります。


以上、簡単ながら浜線の橋梁跡を辿りながらステーションゼロへのガイドとしました。この区間は世界遺産の対象とはならなかったものの、三池鉄道最初の開通区間として重要な鉄道遺産と思います。煉瓦積みの橋台のほかにも、築堤を支える石積みなど見どころがあります。なお、ステーションゼロ入口前の道路は、かつて三池浜駅の手前にあった踏切跡です。

2024年4月30日火曜日

万田坑の新設充電装置について

更新間隔あいて、どーもすいません。
この間、いろいろと重要な動きがありましたので、一先ずまとめます。

まずは万田坑の保存機から。
2024年2月13日万田坑12号+デ1、充電装置取付工事開始(2月16日より試運転)
2024年3月10日万田坑12号+デ1、万田坑スプリングフェスタにて公開運転(3回)
2024年4月14日万田坑12号+デ1、定期運転公開初日(1日6回)
以降、定期運転については第2第4日曜日の運転が発表されています。

充電装置の取付けについては、すでに荒尾市よりアナウンス(2023年8月)されていたので予定通りの施行です。

もうひとつは非公表(というか秘匿)されていた情報で、大牟田市の白石ホールディングス株式会社(大牟田市新開町)での炭鉱電車保存事業です。保存対象となったのは11号と19号電車。
2023年1月14日から15日にかけて宮浦駅より大牟田市北磯町へ陸送(非公表)。
以降、車輛はブルーシートを掛けて仮保管。ブルーシート時代はわたしも一応見ています( ´艸`)

おおよそ1年をかけて、車庫やギャラリー、ショップの各棟建設、およびレイル敷設(宮浦駅で使用されたレイルとポイント、枕木を再利用)が施行され、2024年3月19日に竣工式。施設名は「炭鉱電車ステーションゼロ」。ゼロ(0)は、かつてこの北磯町にあった三池浜駅(0km鉄道起点)に由来します。

2024年4月12日炭鉱電車ステーションゼロ、完成記念式典。ディーゼル機関車(TMC200C形)による19号牽引を披露。新聞各紙報道あり、以降、情報公開が解禁。
2024年4月20日炭鉱電車ステーションゼロ、一般公開初日(3回運転)。
5月6月は第3土日の公開が発表されています(4月現在)。

ステーションゼロ、および万田坑の炭鉱電車事業については、鉄道車両保存事業を手掛ける㈱ワンマイルがハードソフト両面で請け負っており、実際の運転も担当しているとのことです。現時点では両所とも一般公開を始めたばかりで手探り感もありますが、今後イベントなどが活発化していくことが期待できますね。



閑話休題。12号電車デ1の充電装置について解説。
定期運転終了後の充電装置を見たままリポします(わたしは電気の素人なのでツッコミどころ満載)。

<外部機器>
これは巧いな~と思ったのは、元々あった12号解説板の裏側を利用しています。まるで最初からの計画ではと思えるほどしっくりとして目立ちません。すぐ近くの柱に設置された分電盤(照明用)からのAC100Vがまずこの外部機器(タイマー)に。さらに外部機器からの制御線を合わせた1本のケーブルが12号電車の床下に導かれています。



12号電車の床下を見ています。ちょうど連結器の裏側に当たります。写真はケーブルが巻き取られた状態で、外部機器に繋げるソケットは車輌側に収納されています。


<車輛機器>
12号電車の2位側ボンネット(電源車側)に車輛機器が収まっていました。こちらのボンネットは大半を主抵抗器が占めていますが、正面側とのスペースにコンパクトに収まっています(写真は機器カバーを外しています)。


参考までに機器設置前のボンネット内部はこんな感じでした(写真は9号電車)。うまい具合に都合よいスペースが空いていましたね。


新設機器ですが、メーカーと型式があるのですぐヒットしました。横浜にあるテクシオ・テクノロジー社製のスイッチング直流安定化電源(PSU600-2.6)でした。型式の数字が出力を表していて、入力AC100→出力DC600V-2.6A、これを並列配置して出力DC600V-5.2Aとしています(一応、4基まで増設可能に見えます)。下世話ですが、一基30万近いお値段でした。
出力600Vは架線電圧と同じですが、僅か5Aとなると(九電の契約アンペアの制限?)、デ1号の空充電から満充電までは一月以上かかる計算となると思います。ただ、実際には公開運転程度ではバッテリーの消費がそれほどではないため、ゆっくりな充電で時間的には問題ないとのことです(むしろバッテリーには優しい)。

<運転室>
充電(正しくは準備状態)での運転室内を見ています。外部機器とケーブルが繋がっているので、12号デ1号ともブレーキをかけています。


架線-電池の切替レバースイッチは、真ん中の”切り”の位置です。上の写真で主電圧計は0を指しています。レバーについては、バッテリー運転中は下(=電池)、運転停止中は上(=架線)にしていました。”架線”は切りと同意なので、万一のいたずら侵入で機関車を動かさないための処置でしょうか。あと、青ケーブルが追加されているのは気になります。このケーブルはボンネット内の基板配線に繋がっている?


ちなみにパンタグラフは畳まれたままです。本来、電源車の充電はパンタグラフを経由して行われていました。今回の機器設置の工事中の写真を見ると、わざわざパンタグラフを上げたシーンがあったので、配線的に充電時のみ上がるかもと期待しましたが、これは当てが外れました。逆に言うと、構造上は不必要(=お飾り)となったので、パンタグラフをあげたまま、バッテリーで走ることも出来るのか?←あくまで余談です。

以上、見たまま。おそらく配線等にも手が加えられていると思いますが、この辺りは素人には理解できません。ちなみにデ1号は変化を確認できませんでした。工事開始前は、12号電車に大きく手が加えられるのかと危惧しましたが、まったくの杞憂に終わりました。
施工業者のセンスが光っています。