2024年1月6日土曜日

わたしが見た炭鉱電車抄録③ 1997~2020編

この記事は『HP炭鉄』からのサルベージ&リペアになります。
なお抄録として書いたので写真は拡大しません。

わたしが見た炭鉱電車③は、1997~2020年編となります。正式名称は、1997(H9)年4月より”三井東圧化学専用鉄道”、同年10月に社名変更があり”三井化学専用鉄道”となりました。路線は旧旭町線1.8キロ(宮浦~旭町)のみが引き継がれ、三井化学大牟田工場関連の貨物のみを扱うこととなりました。三池鉄道128年の歴史のうち、最後の23年間にあたります。

わたしは1997(H9)年10月を最後に1998~2001年は訪問をしていませんので、この間の動向については分からない部分があります。2002(H14)年に訪問を再開したのは、『HP炭鉄』を始めるにあたっての情報収集のためでしたが、以降、毎年1~3回の訪問を重ねました。2007(H19)年からは大牟田市が所有する電車4両が一般公開されるようになったため、公開日のある11月が定例の訪問月となりました。

 三池本線最後の運転は、大牟田市が譲受した電車4両(三井化学内に仮保管)と、三井化学が引き継いだ電車5両、貨車7両(ハト形、ヒト形、検形)および保線車両(トラック型モーターカ)、部品取りとした電車3両の回送をもって、1997(H9)年中に終了した模様です。わたしが同年10月に三池港駅を訪れた時点で残っていた車輌はなく、レイル撤去が本線を遡るように始まっていました。

 <JR継走>旭町→宮浦の化成品タンク列車

三井石炭鉱業専用鉄道より引き継がれた宮浦駅に隣接する三井化学大牟田工場の化成品輸送です。定期的な濃硝酸と液化塩素の到着貨物でした。タンク車の陣容は変わらず、濃硝酸はタキ7500形、タキ10450形、タキ29000形、タキ29100形、液化塩素はタキ5450形が用いられていました。かつては様々な発駅があったものの、正確にはいつ頃からの事なのか分からなかったのですが、濃硝酸は三菱化成から(黒崎駅発)、液化塩素は旭化成工業から(南延岡駅発)の2社に絞られました。


旧旭町線をゆく19号のタンク車編成。鹿児島本線との並走区間です。


浅牟田町108号踏切をゆく濃硝酸タンク車。
この踏切は大牟田川の流路変更により廃止されました。



<JR継走>旭町→宮浦の化成品コンテナ列車

従前のタンク車がタンクコンテナに置き換えられたものです。タンク車の老朽化、およびJRのコンテナ化推進により、まず2009(H21)年6月(頃か?)に濃硝酸タンク車がコンテナ(三菱化学物流所有 UT13C形=通称”銀タンコ”)に置き換えられ、同年12月には液化塩素タンク車もコンテナ(日本陸運産業所有 UT13C形=通称”黄タンコ”)に置き換えられました。これ以降、使用車両はJR貨物のコキ200形(2個積み)となりました。2020(R2)年5月の鉄道廃止までコンテナ輸送が行われ、最終列車は銀タンコ5両の返却列車となりました。なお、鉄道廃止の直接の理由は、三菱化学(←三菱化成)の硝酸製造の廃止によります。


宮浦駅に到着した濃硝酸銀タンコ編成。


大牟田工場への入出場はコキ200形1両単位となり入換頻度が増えました。


仮屋川操車場にて液化塩素の黄タンコ。


浅牟田町108号踏切をゆく黄タンコ。


<JR継走>宮浦→旭町の海上コンテナ車列車

大牟田工場で製造されてドラム缶詰めされた化成品の、海上ドライコンテナによる発送貨物です。なおドラム缶の中身は、TDIと思われるポリウレタン半製品と推測されます。北九州貨物ターミナルから日明コンテナ埠頭に陸送、船舶によって主に中国へ輸出されていたようです(北九州貨物ターミナルからの物流については未確認)。このコンテナ輸送は、1999(H11)年12月の試験輸送からスタートし、宮浦駅の南側には専用のコンテナホームが新設されて、大型フォークリフトが配置されています。当初はコキ106形に海上コンテナ1個積みとしていましたが、2003(H15)年頃にはコキ200形に2個積みとしています(以降も稀にコキ106を使用)。
 2002(H14)~07(H19)年は国土交通省が推進したモーダルシフト実験の対象となるなど注目をあつめた輸送となり、わたしの見たかぎりでは、最大でコキ200×5両(コンテナ10個)が組まれるなど、活発な輸送が行われた時期がありました。ただし、わたしの印象では2008(H20)年頃より次第に減少に転じたとみられ、2~3両程度の短編成、かつ低頻度運転となっていました。輸送が低調となった事情は不明なのですが、その後、一足早く2017(H29)年初頭に廃止されたと思われます。


宮浦石炭記念公園より。
入換都合でタキ5450形が挟まっています。


旧勝立線跡ホームより。
コンテナ車を牽き出します。



<社内>宮浦⇔旭町の錆取り列車

三井化学大牟田工場が5月半ば~6月半ばにかけて定期メンテナンスに入り、列車が運休される期間に、週一程度のペースで運転された列車(コキ200牽引や、単機)です。社内での正式名称は不明ですが、趣味人の間では”錆取り運転”と呼ばれ、おそらく信号や踏切の保守作業であったと思われます。残念ながら、わたしは目撃出来ませんでした。



<社内>電車交代

宮浦車庫との間で走った45トン電車および20トン電車の交代運転です。通常、宮浦構内には45トン電車1両(宮浦~旭町用)および20トン電車1両(工場入換用)が配置されましたが、2週間程度の間隔でそれぞれローテーションが行われました。なかなかタイミングが読めない運転でしたが、わたしも一度だけ目撃出来ました。


三坑町踏切にて、電車交代のため車庫に引き上げます。



<社内>コンテナ積替え

列車というわけではありませんが、2011(H23)年3月”コキ200問題”と呼ばれた空コンテナ搭載禁止(成田線での脱線事故で判明。原因はコキ200の台車問題)に対処するため、コキ104・106形への空コンテナ積替え作業です。大牟田工場にて荷卸しを終え、”空コンテナ”を積んで戻ってきたコキ200形から、コンテナホームにて一旦コンテナを降ろし、コキ104・コキ106形へ再び積み直すという作業でした。この積替えのため、JR貨物よりトップリフターが配置されています。積替え作業は、2011(H23)年11月より始まり、2013(H25)年2月に台車改良されたコキ200形の復帰により解消しました。


コンテナホームにて銀タンコ積み替え。
空車コキは、空コンテナの搭載用。


黄タンコも同じく積み替えられます。