2023年11月3日金曜日

わたしが見た炭鉱電車抄録② 1990~1997編

 この記事は『HP炭鉄』からのサルベージ&リペアになります。三井石炭鉱業専用鉄道時代、最後の7年間の1990~1997年、JR継走貨物編。なお抄録として書いたので、写真は拡大しません。


<JR継走>三池港→旭町の石炭列車

平成筑豊鉄道金田駅に接続していた三井鉱山田川セメント工場向けの燃料炭輸送です。三井鉱山の私有貨車ホサ8100形、JR貨物セキ6000形(のちにセキ8000形に交代)が用いられて、仮屋川操車場を介して大牟田駅に継走されました。三池鉄道線内は、午前に旭町駅より空車を三池港駅まで引き上げ、午後に三池港駅より発送するというダイヤでした。
田川工場の操業は1964(S39)年から、石炭専焼キルンのために三池炭の受け入れを行っています(荒尾→金田というルートだったようです)。いったん、1977(S52)年2月に廃止されますが、すぐに1979(S54)年5月復活、継走駅も大牟田駅に変更されました。当初は、国鉄セラ1形とセキ6000形が用いられ、1983(S58)年からは種別変更されたホサ8100形が加わりました。1992(H4)年10月、田川工場が石炭調達先を変更したことにより廃止。1992年というと、わたしが足繁く撮ったのが最終年となりました。この時点では扱い量は増加傾向にあると聞いていたのですが・・・
列車廃止により、宮浦~四ツ山間の貨物列車が消滅し、1995(H7)年頃に上り線撤去が行われました(万田~四ツ山間の単線化)。

三池港駅を出発した発送列車。ホサ8100で統一。

西原駅を通過する先送り列車。

原万田駅を通過した返空列車。ホサ8100+セキ8000混成。


<JR継走>宮浦→三池浜の化成品タンク車列車

三池浜駅にあった三井バーディシエ染料へ到着する化成品輸送です。浜貯炭場の手前に短い荷役線がありました。三池浜駅に接続していた専用線の多くは、1970~1980年代に次々と廃止されましたが、同社の1978(S53)年の操業により新たに始まった輸送でした。20トン電車+電源車の仕業が組まれていましたが、運転頻度は低く、わたしは目撃できないまま1993(H5)年頃に廃止された模様です。輸送終了により、三池浜~宮浦(通称、浜線)の列車設定がなくなり、1996(H8)年頃には三池浜駅および浜線のレイルが撤去されました。


<JR継走>旭町⇔宮浦の化成品タンク車列車

宮浦駅に隣接した三井東圧化学大牟田工場に発着した化成品輸送です。取扱い量のメインを占めるのは、定期的な濃硝酸と液化塩素の到着貨物で、濃硝酸専用のタキ7500、タキ10450、タキ29000、タキ29100形、液化塩素専用のタキ5400、タキ5450形が見られました。発送貨物としてはTDI(ウレタン素材)があり、タキ4850、タキ19600形が用いられましたが、輸送頻度は低くかったように思います。なお、化成品は他の品目も不定期な輸送があったようです。わたしが見たのはタキ8550形だけでしたが、あとから知ったところではタキ3900形のフェノールはギリギリ間に合っていたかも知れません。
濃硝酸と液化塩素の2品目については、1997(H9)年4月以降も輸送が継続しました。

宮浦駅にてタンク車の入換。

旭町線をゆくタンク車編成。

TDI専用タンク車が出入りしていた引込線。