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2025年8月11日月曜日

デ1号電源車⑫

万田坑に動態保存されている12号電車+デ1号の観察12回目🐱
12号およびデ1号共、前後位にブレーキホースを装備しています。デ1号の制動装置については既に触れましたが、もともとは車側ブレーキのみ、1965(S40)年に直通ブレーキに追加改造されています(他の電源車も共通)。

デ1号電源車⑧

デ1号の直通ブレーキのために、12号との間に直通管(SAP/Straight Air Pipe)が繋がれます。ただ、実際の展示運転では12号のみの制動力でも十分ということで、接続は外されていました(なお、雨天時等ではデ1号の直通ブレーキを使用することもあるとのこと)。


ここから本題。デ1号12号とも、下の写真のように、お互いの連結面以外にもブレーキホースを装備しています。構造的にはこれも直通管となりますが、デ形以外に直通ブレーキを装備した貨車はいませんので、用途としては限定的なものになります。おそらくですが、電源車の両頭仕様(20トン電車の前後どちらでもデ形の使用が可)の名残ではないかと推測しています。

電源車デ形について⑤

見た目は、自動空気ブレーキの制動管(BP/Brake Pipe)と似ていますが、機能的には異なりますので、国鉄貨車などの牽引で貫通ブレーキとして使用できるわけではないようです。



三池の車両のうち、貨車については基本的に空気ブレーキを装備しないため、貫通ブレーキの必要性がありません(例外として、タンク車の一部に空気ブレーキ装備車があった)。一方、客車は空気ブレーキを装備していたため、20トン電車の制動装置はその用途によって3パターンに分類されました。ブレーキホースは客車対応車と電源車対応車が装備しました。

2025年5月19日月曜日

保守運転最終日(2022/9/29)

 2020(R2)年5月7日をもって三池鉄道の営業運転は終了しましたが、その後も11号(+デ3)と12号(+デ1号)は、動態保存を目指しての週2日のペースで保守運転行われていたことは知る人ぞ知る事実です。一応、”保守”という言葉を当てましたが、現場では実際には何と呼ばれていたのでしょう(*1)。
2022(R4)年3月までは旧宮浦操車場にて運転されていましたが、同地の施設撤去の開始に伴い、同年4月からは旧ウレタン線(海上コンテナ線)での運転に変わりました。わたしは旧操車場での運転は実見できませんでしたが、旧ウレタン線での運転は2回目撃できましたので、その模様は順次取り上げる予定です。

その旧ウレタン線も撤去に着手されることとなり、2022(R4)年9月27日をもって保守運転の終了日とするとの一報を受けて、急ぎ大牟田を訪ねました。以下の写真は当日の最終運転からです。すべて側線末端の三坑町4号踏切跡から撮ったもので、奥側が宮浦車庫と旧宮浦操車場になります。


宮浦車庫を出庫した12号電車が旧ウレタン線を往復します。途中から前照灯と標識灯が灯されたのは最終日のファンサービス😸ちなみに、前照灯は前後進で自動的に切替わるのは最近知りました。


旧ウレタン線は、三井化学専用鉄道時代には海上コンテナの発送線として使われていた側線で、フォークリフトによる20ftコンテナ積卸しのための低床ホームがあります。”ウレタン”はコンテナの積荷で、おもにコキ200が入線していました。現役時代は基本的に宮浦駅からコンテナ車を推進して入線していたので、側線末端まで20トン電車が入るのは珍しいシーンとなります。終端の車止めはすでに搬出済みのため、唐突にレイルが途切れていました。


写真左端の線路は旧三池本線。1997(H9)年4月以降は実用途がなくなったため(検重車が留置していたぐらい)、雑草茫々の時代が長いですが、撤去作業のために草が刈られたようで、久しぶりにレイルが現れていました。


いよいよ保守運転最後の折り返し。運転士が片手を上げてそのことを告げます。側線末端に陣取っていたわれらギャラリーも思わず手を振り返しました。


宮浦車庫へと帰る12号電車。翌2023(R3)年1月万田坑への陸送まで、このまま庫内にて暫しの眠りにつくことになります。それにしても旧ウレタン線の周りには緑が多く、最後の最後になって意外な風景を見せてくれました。


(*1)現場では"維持運転”と呼んでいたとの情報を頂きましたので、付記しておきます(2025.5.19)

2025年4月20日日曜日

電源車デ形について⑤

東芝社報「三井鉱山三池港務所電源車 新設計蓄電池を搭載」(*1)より5回目、今回は記事の紹介ではなく、”ある疑問”を考察します。

まずは同記事より一枚、デ2号と20トン電車(号車は不明)の写真です。この写真、どことなく違和感があるのに気付かれるでしょうか。じつは電源車と電車の位置関係が、見慣れた姿とは逆になっています。

「三井鉱山三池港務所電源車 新設計蓄電池を搭載」(*1)より引用

たまたま😸この向きで撮られた可能性があるかもと疑い、同年代の『東芝レビュー』を見返してみたところ、もうひとつ写真が見つかりました。「三井鉱山三池港務所電気機関車用電源車」(*2)と題した短い記事ですが、ここでも電源車と電車の位置は逆になっています。なおこの写真、電源車に車号や社章がなく、車台にケーブルが這っているので試験中なのかもしれません。

「昭和37年における東芝技術の成果/三井鉱山三池港務所電気機関車用電源車」(*2)より引用

言うまでもないですが、見慣れているのは、電源車の後位(機器箱側)と20トン電車の後位(浜側)がケーブルで結ばれた姿です。お互いの電気連結栓もこの組み合わせ一択しか持ちません。


以下、はっきりとした資料がないため、あくまで推論となりますが、オリジナルな仕様としては、電源車は20トン電車の前後どちら側でも使用が可能だったのではないかと考えています。すなわち、”電源車・電車の両車とも前後に電気連結栓を備えていた”ということになります。以下、裏付けとなる物証を探してみます。

まずは電源車側から。写真はデ4号の前位をみたものですが、端梁の2位寄りに丸穴跡が3つ並んでいます。これは電気連結栓の取り付け跡ではないかと睨んでいます。


下の写真は電源車(後位側)の連結栓(旧タイプ)の取り付け方法です。立型の筒はケーブル収納の際の栓受け。前位側では連結器の解放テコが干渉しそうですが、元々、連結器は下作用式(上作用式には後年改造)でした。


電源車対応であった20トン電車(9号、11~12号)を観察すると、万田坑に保存された12号電車のみ、1位寄り(港側)のボンネットに連結栓の痕跡が残っています。前後は対角ではなく、対称の位置関係となるのは電源車も同様です。
なお、連結栓を避けていた標識灯が上にずれたままになっているのは12号の特徴。


参考までに、下の写真は12号電車3位寄りの通常の連結栓(旧タイプ)です。現在はコンパクトになりましたが、もともとはボンネットに直接取り付けられていました。


現在はステーションゼロに保存されている11号電車には、12号のような痕跡は確認できません。ところが『私鉄電気機関車ガイドブック』(*3)には前位側に電気連結栓がならんだ11号電車が掲載されています。資料としてはこれが決定的な物証となるでしょう。撮影日は1974(S49)年2月です。
なお、牽引される電源車の車号は不鮮明ですが、後位(機器箱側)床下に排障器が見えています。後位側が先頭になる場合があることの物証となります。

『私鉄電気機関車ガイドブック西日本編』より引用(*3)

以上、電源車・20トン電車の両頭仕様はほぼ間違いないと思うのですが、最初に述べたように明確に言及した資料が見つかりませんでした(*4)。また、すべての車両に共通していたのか、あるいは一部に限定されていたのかはよく分かりません。
はたして電源車を繋ぐ位置については、前後どちらかに特段のメリットがあるのか、素人目にみても??です。電源車の登場当初は、連結位置を変えなければならない使用状況を想定していたかもしれませんが、部品数が増えてしまうことは保守的にはデメリットになるのではないかと思います。
おそらくは、ある時期に連結方向が固定され、不要となった電気連結栓が撤去されたと思われるのですが、電源車電車双方ともそれらしい記事が見つからないのが不思議といえば不思議。


(*1)鵜沢正治・山司房太郎「三井鉱山三池港務所電源車 新設計蓄電池を搭載」『東芝レビュー』1963(S38)年10月 東京芝浦電気発行
(*2)『東芝レビュー』1963(S38)年3月 東京芝浦電気発行
(*3)杉田肇著 誠文堂新光社1977
(*4)間接的な言及となるが、11号電車の1967(S42)年2月の修繕記事に1位側(→前位)に電源車を連結した場合に電流計が指示しないので充電用メーンケーブル配線替えをおこなったとの記述がみられる。

2025年1月5日日曜日

単機の9号電車

 投稿間隔がずいぶん空いてしまった...ので、まずは近況を整理。

2024年11月3日(文化の日)は、ふたたび万田坑の12号電車、ステーションゼロの19号電車の同日運転となりました。それぞれ万田坑が「オータムフェスタ」、ステーションゼロが「炭鉱電車フェスタ」として入場無料のイベントを開催しています。SNS等でのリポートをみると、とくに初開催となった炭鉱電車フェスタでは、アイドルのライブコンサートとのコラボという新たなジャンルを開拓したことが特筆されます🐱

ところで、"11月3日"といえば偶然にも三池鉄道最初の区間(横須浜~宮浦坑)の開通日という記念日にあたります。このことを以前にまとめましたので、参考まで。

炭鉱電車「鉄道の日」

少し前までは「近代化遺産一斉公開日」として馴染みのある日でもあり、2025年以降も同時開催が期待できそうです。


新年の初投稿は軽いネタから🐱

9号(現:三井化学保管)、11号(現:ステーションゼロ)、12号(現:万田坑)の20トン電車は、三井化学時代には、20トン電車3台×電源車3両で一致していたので、常に電源車デ形とのペアの姿がデフォルトでした。いっそのこと、テンダーとして20トン電車の一部とした方が、税金対策にはお得なのではと思ったりもしましたが、実際には検査周期の違いでペアの組合せはその都度変化しています。おそらく、どちらかの検査時以外は連結を解くことがなかったのではと思います。
もちろん、20トン電車単機での稼働は可能ですが、この姿で仕業に就くのを見ることはありませんでした。ある日、宮浦車庫をいつものようにのぞいたところ、単機の9号電車がそろそろと車庫から出てきました。すぐに庫内に戻ってしまいましたが、なんか得した気分でした。たまたま相方となる電源車が検査中だったのでしょうね。


2024年4月30日火曜日

万田坑の新設充電装置について

更新間隔あいて、どーもすいません。
この間、いろいろと重要な動きがありましたので、一先ずまとめます。

まずは万田坑の保存機から。
2024年2月13日万田坑12号+デ1、充電装置取付工事開始(2月16日より試運転)
2024年3月10日万田坑12号+デ1、万田坑スプリングフェスタにて公開運転(3回)
2024年4月14日万田坑12号+デ1、定期運転公開初日(1日6回)
以降、定期運転については第2第4日曜日の運転が発表されています。

充電装置の取付けについては、すでに荒尾市よりアナウンス(2023年8月)されていたので予定通りの施行です。

もうひとつは非公表(というか秘匿)されていた情報で、大牟田市の白石ホールディングス株式会社(大牟田市新開町)での炭鉱電車保存事業です。保存対象となったのは11号と19号電車。
2023年1月14日から15日にかけて宮浦駅より大牟田市北磯町へ陸送(非公表)。
以降、車輛はブルーシートを掛けて仮保管。ブルーシート時代はわたしも一応見ています( ´艸`)

おおよそ1年をかけて、車庫やギャラリー、ショップの各棟建設、およびレイル敷設(宮浦駅で使用されたレイルとポイント、枕木を再利用)が施行され、2024年3月19日に竣工式。施設名は「炭鉱電車ステーションゼロ」。ゼロ(0)は、かつてこの北磯町にあった三池浜駅(0km鉄道起点)に由来します。

2024年4月12日炭鉱電車ステーションゼロ、完成記念式典。ディーゼル機関車(TMC200C形)による19号牽引を披露。新聞各紙報道あり、以降、情報公開が解禁。
2024年4月20日炭鉱電車ステーションゼロ、一般公開初日(3回運転)。
5月6月は第3土日の公開が発表されています(4月現在)。

ステーションゼロ、および万田坑の炭鉱電車事業については、鉄道車両保存事業を手掛ける㈱ワンマイルがハードソフト両面で請け負っており、実際の運転も担当しているとのことです。現時点では両所とも一般公開を始めたばかりで手探り感もありますが、今後イベントなどが活発化していくことが期待できますね。



閑話休題。12号電車デ1の充電装置について解説。
定期運転終了後の充電装置を見たままリポします(わたしは電気の素人なのでツッコミどころ満載)。

<外部機器>
これは巧いな~と思ったのは、元々あった12号解説板の裏側を利用しています。まるで最初からの計画ではと思えるほどしっくりとして目立ちません。すぐ近くの柱に設置された分電盤(照明用)からのAC100Vがまずこの外部機器(タイマー)に。さらに外部機器からの制御線を合わせた1本のケーブルが12号電車の床下に導かれています。



12号電車の床下を見ています。ちょうど連結器の裏側に当たります。写真はケーブルが巻き取られた状態で、外部機器に繋げるソケットは車輌側に収納されています。


<車輛機器>
12号電車の2位側ボンネット(電源車側)に車輛機器が収まっていました。こちらのボンネットは大半を主抵抗器が占めていますが、正面側とのスペースにコンパクトに収まっています(写真は機器カバーを外しています)。


参考までに機器設置前のボンネット内部はこんな感じでした(写真は9号電車)。うまい具合に都合よいスペースが空いていましたね。


新設機器ですが、メーカーと型式があるのですぐヒットしました。横浜にあるテクシオ・テクノロジー社製のスイッチング直流安定化電源(PSU600-2.6)でした。型式の数字が出力を表していて、入力AC100→出力DC600V-2.6A、これを並列配置して出力DC600V-5.2Aとしています(一応、4基まで増設可能に見えます)。下世話ですが、一基30万近いお値段でした。
出力600Vは架線電圧と同じですが、僅か5Aとなると(九電の契約アンペアの制限?)、デ1号の空充電から満充電までは一月以上かかる計算となると思います。ただ、実際には公開運転程度ではバッテリーの消費がそれほどではないため、ゆっくりな充電で時間的には問題ないとのことです(むしろバッテリーには優しい)。

<運転室>
充電(正しくは準備状態)での運転室内を見ています。外部機器とケーブルが繋がっているので、12号デ1号ともブレーキをかけています。


架線-電池の切替レバースイッチは、真ん中の”切り”の位置です。上の写真で主電圧計は0を指しています。レバーについては、バッテリー運転中は下(=電池)、運転停止中は上(=架線)にしていました。”架線”は切りと同意なので、万一のいたずら侵入で機関車を動かさないための処置でしょうか。あと、青ケーブルが追加されているのは気になります。このケーブルはボンネット内の基板配線に繋がっている?


ちなみにパンタグラフは畳まれたままです。本来、電源車の充電はパンタグラフを経由して行われていました。今回の機器設置の工事中の写真を見ると、わざわざパンタグラフを上げたシーンがあったので、配線的に充電時のみ上がるかもと期待しましたが、これは当てが外れました。逆に言うと、構造上は不必要(=お飾り)となったので、パンタグラフをあげたまま、バッテリーで走ることも出来るのか?←あくまで余談です。

以上、見たまま。おそらく配線等にも手が加えられていると思いますが、この辺りは素人には理解できません。ちなみにデ1号は変化を確認できませんでした。工事開始前は、12号電車に大きく手が加えられるのかと危惧しましたが、まったくの杞憂に終わりました。
施工業者のセンスが光っています。