2025年5月19日月曜日

保守運転最終日(2022/9/29)

 2020(R2)年5月7日をもって三池鉄道の営業運転は終了しましたが、その後も11号(+デ3)と12号(+デ1号)は、動態保存を目指しての週2日のペースで保守運転行われていたことは知る人ぞ知る事実です。一応、”保守”という言葉を当てましたが、現場では実際には何と呼ばれていたのでしょう(*1)
2022(R4)年3月までは旧宮浦操車場にて運転されていましたが、同地の施設撤去の開始に伴い、同年4月からは旧ウレタン線(海上コンテナ線)での運転に変わりました。わたしは旧操車場での運転は実見できませんでしたが、旧ウレタン線での運転は2回目撃できましたので、その模様は順次取り上げる予定です。

その旧ウレタン線も撤去に着手されることとなり、2022(R4)年9月27日をもって保守運転の終了日とするとの一報を受けて、急ぎ大牟田を訪ねました。以下の写真は当日の最終運転からです。すべて側線末端の三坑町4号踏切跡から撮ったもので、奥側が宮浦車庫と旧宮浦操車場になります。


宮浦車庫を出庫した12号電車が旧ウレタン線を往復します。途中から前照灯と標識灯が灯されたのは最終日のファンサービス😸ちなみに、前照灯は前後進で自動的に切替わるのは最近知りました。


旧ウレタン線は、三井化学専用鉄道時代には海上コンテナの発送線として使われていた側線で、フォークリフトによる20ftコンテナ積卸しのための低床ホームがあります。”ウレタン”はコンテナの積荷で、おもにコキ200が入線していました。現役時代は基本的に宮浦駅からコンテナ車を推進して入線していたので、側線末端まで20トン電車が入るのは珍しいシーンとなります。終端の車止めはすでに搬出済みのため、唐突にレイルが途切れていました。


写真左端の線路は旧三池本線。1997(H9)年4月以降は実用途がなくなったため(検重車が留置していたぐらい)、雑草茫々の時代が長いですが、撤去作業のために草が刈られたようで、久しぶりにレイルが現れていました。


いよいよ保守運転最後の折り返し。運転士が片手を上げてそのことを告げます。側線末端に陣取っていたわれらギャラリーも思わず手を振り返しました。


宮浦車庫へと帰る12号電車。翌2023(R3)年1月万田坑への陸送まで、このまま庫内にて暫しの眠りにつくことになります。それにしても旧ウレタン線の周りには緑が多く、最後の最後になって意外な風景を見せてくれました。


(*1)現場では"維持運転”と呼んでいたとの情報を頂きましたので、付記しておきます(2025.5.19)

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