2025年5月26日月曜日

デ4号電源車②

デ4号電源車についての2回目🐱三井マークが描かれていた頃の写真を拾ってみました。個人的には相性がよく、稼働する姿によく出会っていました。

前位妻面のステップ増設(および側面足掛けの撤去)は1990年代前半におこなわれたようです。なお、旭町1号踏切をゆくのは11号+デ4号です。当時は宮浦仕業として仮屋川操車場に返空タンク車を送り込む片道運用がありました。旭町線なので架線集電での運転です。



サイドビューから2枚。2004(H16)~2005(H17)年の間に電源車-20トン電車を結ぶ電気連結栓一式が交換されています。コネクタ化されてコンパクトになりましたが、おそらく同じ時期に蓄電池箱間の連結線も同様に交換されています。あと、当時はスポーク車輪を履いていますね。



上から見た写真はあまりなく、苦し紛れの1枚。蓄電池箱蓋には電池番号(3位側より1~10)が描かれています。数字の描き方は、以前は四角で囲った小文字のはずですが、いつのまにか大文字に変わっていました。


下の写真は『私鉄電気機関車ガイドブック』(*1)からの引用です。不明瞭ですが車番はデ4号と読めます(←おそらく(;'∀')...。

『私鉄電気機関車ガイドブック西日本編』(*1)より引用

スタイルには変化がありませんが、前位側(写真右側)の連結器が下作用式となっていることが目を惹きます。原形ハコ形は無蓋車のため上作用式と推測されるため、デ形改造の際に下作用式に取り替えたと考えられます。本来、前位側の2位寄りには、もうひとつの電気連結栓承を備えていたので、自連の解放テコの干渉を避けるための仕様と思われます。デ形の両頭仕様については既にまとめましたが、デ4号の場合、1974(S49)年3月に前位側の電気連結栓承を全部撤去したという記事が『電源車履歴簿』(*2)に見つかりましたので、引用した写真はちょうど工場入りしていた時のようです。

電源車デ形について⑤

(*1)杉田肇著 誠文堂新光社1977
(*2)NPO炭鉱電車保存会所蔵

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