2025年6月14日土曜日

三池の絵葉書から⑨七浦坑

マイコレクションから、今回は七浦坑の絵葉書を1枚🐱

キャプションは「三池七浦炭坑 VIEW OF MIIKE COAL MINE」。宛名面に「SEIUNDO PRINTING CO.LTD.」とあります。羽の生えた馬(ペガサス?)のマークが描かれていることから、おそらく東京飯田橋「青雲堂」の発行と思われます。

七浦坑は、官営時代の1879(M12)年7月に第一立坑(揚炭・入気)の開鑿に着手し、1883(M16)年1月より操業開始、第二立坑(排気排水・人員)が1883(M16)年6月開坑、第三斜坑(排気)が1884(M17)年11月開坑しています。
官営三池の主力坑口であり、明治期を通して操業しましたが、第一立坑は1923(T12)年5月閉坑して七浦坑からの出炭は終了し、第ニ坑・第三坑も1931(S6)年5月閉坑しています。

七浦坑の遺構としては『福岡県の近代化遺産』(*1)によれば、煉瓦積みの第一立坑巻揚機室と、第二坑建屋一部が残っているようです。ただし工場敷地内のため公開はされていません。このうち、巻揚機室らしき建屋は高台から少し見えましたが、樹々に遮られて全体は見通せませんでした。


今回の絵葉書は、七浦坑絵葉書としては最も流通しているものですが、大きなエラーがあることに気付かれるでしょうか。じつは裏焼き写真で、左右が逆になっています。左右反転して、施設名を加えてみました。


中央に見えるのは木造の第一立坑櫓。櫓周囲の建屋のうち、エンドレス原動機室とあるのは、大浦坑を結んだエンドレスロープ軌道の動力となる施設です。坑外軌道によって大浦坑からの石炭は七浦選炭場に運ばれました。選炭場の積込線には4トン炭車の姿が見えています。
七浦坑の手前、日傘をさした女性?が歩く線路は勝立方面の線路(→勝立線)と思われます。途中、大牟田川を渡る橋梁が確認できます。

三池鉄道の一番最初の免許区間は「横須海岸~平原間」ですが、この「平原」が七浦坑にあたり、七浦駅として機関庫が設けられています。絵葉書には写っていませんが、選炭場の向こう側に七浦駅の操車場が広がっていました。

(*1)福岡県教育委員会編集 1993西日本文化協会

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