2023年8月30日水曜日

デ1号電源車②

万田坑保存車両よりデ1号解説。

デ1号は、竣工図表によれば、ハコ1号無蓋車を1962(S37)年に改造したことになっています。種車となったハコ1号は1942(S17)年若松車両製、ハコ形については別の機会に触れます。

電源車を製造したのは東京芝浦電気(東芝)です。
まずはデ1号に東芝の証しを探してみましょう。”傘マーク”と愛称される懐かしいロゴマークが機器箱(デ1号の12号側車端にある機器カバー)に付いています。緑色が程よいアクセントになっています。



これは気づきにくいかもしれませんが、機器箱の下隅には機器箱の真鍮銘板が付いています。デ1号には、いわゆる車輌銘板(種車のハコ1号も含めて)が見当たらないので、デ1号の製造を示すものとしては唯一のものでしょうか。なお製造年は1962-8となっています。





 

2023年8月27日日曜日

ブログ炭鉄 今後の方針

HP炭鉄(炭鉄本館、炭鉄別館)を2023(R5)年1月一杯まで開いていました。
最後の1年間は更新できませんでしたが、それなりの分量になっていたので、ブログでもいくつか復活させていきたいと思います。時事的な話題は今となっては意義もなくなったので、資料中心にいきます。画像は炭鉄本館総目次から。



 

2023年8月25日金曜日

デ1号電源車① 解説

 万田坑保存車のうち、なぜかデ1号には解説板がありません。

12号電車動態保存の"維持"のためにはキーポイントとなる車輌ですが、このまま裏方とするのはあまりに不憫すぎます。簡単な解説をつけてあげましょう。

電源車 デ形 デ1号 昭和37(1962)年東京芝浦電気製
蓄電池(バッテリー)を搭載し、電気機関車へ直流電気を供給する特殊車輌。デ1号によって、12号電車は架線の無い線路でも運転できるようになります

電源車については、何回かに分けて取り上げようと思います。
まずは全体写真から。鉄道廃止後の2021年以降からセレクトしましたので、現在の万田坑での姿と同じになります。この頃は動態保存を目指して、週2程度の保守運転を行っていました。






2023年8月10日木曜日

万田坑 炭鉱電車公開からひと月

万田坑での炭鉱電車の公開開始(2023年7月8日)より一月が過ぎました。この間、SNSでもポチポチと取り上げられるようになったので、それらを参考に展示内容をまとめてみました。

<展示物>
①12号電車+デ1号(動態保存)
12号電車には竣工図表を用いた解説板あり、デ1号には解説板なし。
運転席側に階段を設置。これは宮浦駅でのラストランイベント(2021.7.31)で使用したもので、据え付けではないように見えるが常設。ただし、12号電車の運転室に入ることはできない。デ1号との電気線は繋がれて運転可能な状態にあるため、万が一の事故防止のためであろう。
この他、開放テコの吊りリンクと、連結器の錠を繋ぐ金具が外されているが、これも事故防止のひとつと思われる。
オープニングセレモニーでは、デ1号のバッテリーによるデモ運転を披露したが、これ以降、運転は行われていない。また今のところ、予定は発表されていない。

②18号電車(静態保存)
竣工図表を用いた解説板あり。
運転席側には階段を設置。おなじくラストランイベントの備品と思われ、常設状態。運転室内の入室見学が可能。
なお、現役時代とは車輌の前後が逆向き(*1)に留置されているが、これは意図的に行われたものとのこと。階段設置の都合のようだが、個人的にはそれほどの意味は無いように感じる・・・

(*1)電気機関車の向きの共通事項として、運転席は三池港駅サイドに揃えられていました。

③踏切警報機
解説板はなし。18号電車の宮浦寄りに1基設置。東泉町2号踏切で使われていたもので、警報音が打鐘式なのが特徴、作動はしない。

④旧選炭場建物遺構
解説板あり。展示棟建設の際に発見された選炭場のコンクリート基礎および鋼製柱の一部。

⑤三池炭鉱専用鉄道解説板
踏切警報機そばに設置。

⑥寄付金参与者の記念碑
一万円以上の寄付者名が掲示。

以下、このほかに気付いたことを箇条書きします。

①12号+デ1号は、18号よりもすこし前進した位置で留置。斜め方向から万田第二坑櫓とのスリーショットがうまく収まるように企図?
②展示棟屋根に天窓設置。天窓がない三川坑の展示では車輛が陰になりがちだったので、教訓としたのだろうか。選炭場のシュート(石炭の落とし口)をイメージしたようにも見えます。
③夜間のライトアップ。これは情報が少なく毎日行われているか不明。そもそも万田坑の公開時間は9:30~17:00なので、防犯上の理由かも。


今後の動向で、もっとも注目すべき懸案としては、デ1号のバッテリー充電をどうするか(および運転士の確保)ということに尽きると思われます。おそらくですが、これが解決するまでは、しばらくは今の状態の静態展示、よくて年一程度の運転(たとえば恒例の産業遺産一斉公開日)となるのが現実的でしょうか。