2024年5月20日月曜日

炭鉱電車ステーションゼロはこう行く

 2024(R6)年4月20日にオープンした”炭鉱電車ステーションゼロ”(以下、ステーションゼロと略)。追って当面は毎月第3土日の公開(10:00~16:00)と発表されました。会場の様子はSNSでボチボチとあがってきましたが、当初は”どこにあるのかよく分からない”という声もチラホラ。ようやく待望の公式サイトがアップされ、駐車場の案内が加わりました。

白石ホールディングスHP(ステーションゼロ)

白石グループインスタグラム

グーグルマップでは最寄り駅を西鉄新栄町駅とすると最短850mと出ます。徒歩で12分。ちなみに大牟田駅からだと1.5km、わたしならレンタサイクルの一択かな。適当なバス路線はありません。

さっさと炭鉱電車見て帰るわ!というセッカチな御仁をのぞき、折角なら三池鉄道の歴史の一片を見てほしいと思います。そこで廃線跡の寄り道資料を作ってみました。宮浦~三池浜間の通称「浜線」、残念ながら線路跡を歩くことは出来ませんが(パイプライン敷地として活用)、築堤区間のため多くの橋梁が架けられています。
以下、新栄町駅から7つの橋梁を確認しながらステーションゼロまで辿ってみましょう。



①栄町架道橋


グーグルストリートビューより(新栄町駅側)

グーグルストリートビューより(大牟田駅側)

新栄町駅から南(大牟田駅)方向に歩くと、最初に着く架道橋です。くぐると大牟田市栄町となります。大牟田の商店街の一角ということからか、橋桁はギリシャ?風なモニュメントで両側を挟まれ、橋台もストリートアートの壁面として隠されています。遠目では鉄道跡に気付けないもかもしれません。


ところで、栄町には1970(S45)年4月まで西鉄栄町駅(新栄町駅開業につき廃止)がありました。以下のリンクは西鉄HPより、駅前にあった栄町架道橋(1970年)がばっちり写っています。それにしても駅前は人と車が多い!

西鉄Webミュージアム/沿線風景アーカイブス/栄町


②紡績前架道橋


グーグルストリートビューより(新栄町駅側)

グーグルストリートビューより(大牟田駅側)

”紡績”とは曰くありげな名称、現在の新栄町駅前はかつて三池紡績(のちに鐘淵紡績三池工場)でした。1891(M24)年より操業とあり浜線敷設と同時期になります。当初は九州最大の紡績工場でした。
この架道橋の見どころはふたつ。まずは橋脚に支えられて長短に分かれた橋桁。おそらくですが、広い方は軌道線を越えていたと思われます。1878(M11)年に大浦坑~船積場を結ぶ馬車軌道が敷設されました。三池鉄道の始祖的存在ですが、1899(M32)年に輸送ルートの変更により大部分は廃止されましたが、この軌道本線より紡績工場の引込線が分岐していました。大牟田港との間で綿花やボイラーの燃料炭を運び、1938(S13)年まで使用されています。
もうひとつの見どころは、橋台と橋脚の床石(橋桁を承ける石材)が高低に2つあることです。低い方は1891(M24)年11月敷設された際の当初の位置のもの。その後、九州鉄道(現在の西鉄大牟田線)の栄町延伸(1938(S13)年)により、三池鉄道側が嵩上げ工事を施して1939(S14)年8月に竣工しています。おそらく栄町架道橋にも同様の遺構があると予想されるのですが・・・

橋のたもとにあった"ガード下食堂"はちょっと知られていました。写真でみるように、建屋の一部が橋脚に食い込むような面白い店屋でした。橋向こうが新栄町駅の駅前(紡績工場跡)になります。名物はちゃんぽんで、店先では万十も売ってましたね。




③明治町架道橋


グーグルストリートビューより(新栄町駅側)


グーグルストリートビューより(大牟田駅側)

片側2車線の県道18号を越える長いスパンの架道橋です。明治町はこのあたりの町名ですが、橋をくぐって大牟田川(大正橋)をわたると大正町。ちなみに大牟田には明治大正昭和まで元号の町名が揃っています。
古い地図ではこの区間は築堤となっており、架道橋は後から架けられたもので、橋台はコンクリートとなっています。橋桁には三池製作所1954(S29)年9月竣工の銘板が見つかります。三作がまだ三井鉱山の事業所だった頃。また、明治町架道橋がまだ無かった頃には、大牟田川川岸にあった横須坑木倉庫に下りていく引込線がこのあたりから分岐していました。



④№1開渠


グーグルストリートビューより(新栄町駅側)

グーグルストリートビューより(大牟田駅側)

名称は開渠となっていますが、実態は蓋がされて暗渠となっています。人が通れる程の幅しかありません。築堤と大牟田川とのあいだが、かつての横須坑木倉庫跡。どうやら水中貯木場があったらしく、暗渠はそこに通じる水路でした。




⑤稲荷川橋梁


この区間では河川を越える唯一の橋梁です。稲荷川は大部分が暗渠ですが、この橋梁付近のみ姿を現しています。残念ながら、煉瓦積みの橋台に近づく手段がありません。




⑥横須架道橋


グーグルストリートビューより(新栄町駅側)

グーグルストリートビューより(大牟田駅側)

”横須”はかつての横須村に由来しますが、町名としては継がれませんでした。越えていく道路は大牟田川の中島橋に通じています。この中島橋は官営の馬車軌道時代に大牟田川を堰き止めた水門(第一水門)があったところで、川中の”中島”に指揮所がありました。中島橋の上流側はかつての石炭船積場(のちに坑木置場となった)となり、いまも川幅が広いのはその名残と思われます。
さて橋台をみると、橋桁の床石が2線分並んでいます。新栄町側は本線跡ですが、大牟田川側は横須船積場の高架桟橋へと通じていた線路跡になります。ポイントはさきほどの稲荷川橋梁とのあいだにあったようです。三池港の開港以前は、船渠となっていた横須船積場にて石炭船積みが行われました。高架桟橋や船渠の遺構はありませんが、ステーションゼロそばの明治町ポンプ場が船渠跡になります。




⑦北磯架道橋


グーグルストリートビューより(新栄町駅側)

架道橋上より、左に振り向くとステーションゼロ

ステーションゼロの東端に接する架道橋です。住吉橋(大牟田川)に通じる道路を越えていますが、コンクリート桁なので道路からはほとんど気付かないでしょう。交通量がありますが、明治町架道橋同様、あとから架けられたものです。写真は北磯架道橋を三池浜駅跡側から撮ったもの。橋上には枕木が残っていました。撮影の立ち位置は、今はステーションゼロの敷地内になります。


以上、簡単ながら浜線の橋梁跡を辿りながらステーションゼロへのガイドとしました。この区間は世界遺産の対象とはならなかったものの、三池鉄道最初の開通区間として重要な鉄道遺産と思います。煉瓦積みの橋台のほかにも、築堤を支える石積みなど見どころがあります。なお、ステーションゼロ入口前の道路は、かつて三池浜駅の手前にあった踏切跡です。

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