2024年5月27日月曜日

電源車デ形について②

前記事はこちらになります。

東芝社報より「三井鉱山三池港務所電源車 新設計蓄電池を搭載」(*1)から、電源車デ形についての2回目、「電源車を利用した際のおもな利点」を読んでみます。


この記事は、電源車全般に加えて三池港務所の事情にも触れており、当時の蒸気機関車の使用状況のまたとない資料となっています。蒸気機関車は宮浦駅周辺の工場引込線の入換が主な仕業で、宮浦操車場(電化済み)と工場線(無架線)の間をつなぐ役目になります。
以下、長い引用になりますがメリットとして8項目(プラス1)があげられています。

「老朽化した蒸気機関車を全廃することができて運転費、保守費が軽減された」

蒸気機関車の運転コストをなくすことが電源車導入の第一義なので、このことが筆頭に書かれています。保守作業が無くなることも大きなメリットでした。万田駅の汽関庫からトコトコ回送してくるのも時代に合わなくなったようで。

「ボイラの灰落としによる無駄な時間がなくなり作業効率が向上した」

これは後で述べる⑥とも関係しますが、蒸気機関車特有の仕業前後の整備作業がなくなるメリットです。実働時間が延び、かつ人員の削減につながります。

「本線と引込線との接合部でその都度蒸気機関車と電気機関車のツナギ替えをおこなう必要がなくなり、また在来の電気機関車を有効に運転できるので就業効率が向上した」

蒸気機関車の主な用途は、工場内の入換(同じような状況の三池浜駅もか)でしたが、本線(宮浦操車場)から無架線の工場内まで機関車付け替えなしで電気機関車が入線できるようになりました。

「従来使用していた蒸気機関車はけん引力が小さく特定の場所では重連運転しなければならなかったが、電気機関車に代わったためにけん引力が大きくなり、重連運転の必要がなくなったので運搬効率が向上した」

SL重連が必要だったという特定の場所、気になりますね。宮浦駅の東側、化学工場側は一番奥のガス工場まで緩やかな上り勾配ですが、はたして重連を必要とするまでだったのか。わたしは宮浦駅の西側、小高くなった宮浦坑への引込線かなと思っています。いまは線路跡の痕跡が無いのでイメージし辛いのですが、配線図によれば現在の宮浦石炭記念公園あたりまで線路が引き込まれていました。

「架線区間で万一停電が起きても電源車の電池が電源となり運転を継続することができるので、作業に支障を来すことが無く便利である」

停電となることがしばしばあったのかな🙀

「必要な時にいつでも即座に使用することができて便利である」

一般的には蒸気機関車の運転準備(石炭を焚いて缶圧が上がるまで)に2時間を要するとされます。

「蒸気機関車とは異なり機関助手は不要で人員の削減ができる」

これは①とも関係していますが、人員コストの面でのメリットになります。

「煤煙が一掃されたので運転手、信号手や沿線の人々は汚れないため大喜びであり環境が著しく改善された」

無煙化の一般的なメリットです。宮浦駅周囲にはあまり民家はありませんが。
ちなみに鹿児島本線の無煙化は1974(S49)年でした。大牟田荒尾入換用の蒸気機関車(C11形)が残りました。

「この外電源車を使用すると隣り合っている架線区間の間に無架線区間が挟まっていて普通電気機関車のままでは隣りに移動できない場合でも電源車が連結されていると容易に移動できる」

これは③と同様な内容になります。機関車付け替えが無くなったメリットが繰り返して強調されています。



(*1)鵜沢正治・山司房太郎『東芝レビュー1963(S38)年10月号』東京芝浦電気発行


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