この記事は『HP炭鉄』からのサルベージ&リペアになります。
前記事 宮浦駅石炭ホッパー①
宮浦駅の石炭ホッパーをもうひとつ。趣味的にはホッパーと呼んでしまいますが、正しくは”選炭場”です。”せんたんじょう”ではなく、”せんたんば”。選炭とは、坑口から揚げられた原炭より岩石等(廃石、硬、三池では悪石と呼んだ)を取り除き、塊炭を篩分けしてその大きさから分級する作業工程です。
鉄筋コンクリート建ての大型施設でしたが、意外なほど記録された方は少ないような気がします。線路から離れてようやく全体が見渡せるほどで、大きさについての資料がありませんが、推定では線長方向は25メートル、奥行きは5線分なので16メートルほどではないかと思います。窓のある上層部分が選炭場にあたり、その下にホッパーと積込線という多層構造となっています。
下図は「15000屯出炭に対応する鉄道輸送とその施設」(*1)より「宮浦坑との接続関係略図」を引用したもの。原炭は塊炭、悪石、新粉炭、中塊、粉炭に篩分けられ、それぞれの積込線が引き込まれています。
三池炭鉱の選炭場の特徴とまで言えるかどうかは分かりませんが、坑口(三川坑をのぞく)にて選別された石炭は、そのまま直に炭車に積込む方式が取られて、ホッパーの貯炭容量はごく小規模になっています。『三池鉱業所沿革史』(*2)に「選炭機に於いて篩別された塊炭、小塊炭、粉炭等は夫々選炭機室下に敷設した各炭種別の運炭線によって直接大炭車に積込む装置となっており、僅かに「ホッパー」装置を有するのみで、従来各坑共貯炭炭槽の設備は有しない」とあります。文中の”大炭車”が鉄道線の炭車です。このような設備となった理由は記されていませんが、三池港や三池浜の貯炭場との距離が近く、鉄道線によって頻繁輸送が可能なため坑口側で貯炭する必要がなかったためと推測しています。
ホッパーに炭車がいない時もあるのではと心配になりますが、続けて解説されています。「万一大炭車切れした時等は坑口と選炭機間に実函の立函線を設けているので、長時間貨車切れをなす外は殆ど坑内の配函及び出炭には支障を生じない。又運輸課の手配宜敷を得て従来長時間に亘る大炭車の不足を生じたと云うことも殆どなかった」とあります。”函”とあるのが坑内から原炭を揚げてくる鉱車。ただし、宮浦坑独特の設備となりますが、大斜坑が1936(S11)年にベルトコンベア化されて連続的に揚炭されるようになったため、選炭場との間に一時的な原炭貯炭槽を設けています。上図で”原炭ホッパー”とあるのがそれです。
さらに、選炭場からコークス工場への原料炭(粉炭)送炭のためのベルトコンベアが分岐しているは宮浦坑の特徴です。このベルトコンベアは1969(S44)年の宮浦坑閉坑後も引き続き活用されることになりますが、これは別機会にまとめましょう。
下の写真は1年後。ホッパーの宮浦坑面から解体が始まり、3線分を残すのみ。宮浦坑跡地はこの後、煙突回りの一角が宮浦石炭記念公園(1996年11月開園)に、跡地の大部分は大牟田中央工業団地として企業誘致がされます。
完全解体後に宮浦石炭記念公園から見下ろしてみました。コンクリート屑や並べられたレイルが生々しいですが、これらも程なくして撤去されています。
(*1)『三池時報』三井鉱山三池鉱業所1962
(*2)機械編第13巻 三井鉱山1939