東芝社報「三井鉱山三池港務所電源車 新設計蓄電池を搭載」(*1)より、4回目。文中より気になる記事を摘み喰いします。写真は非電化区間の浅牟田町108号踏切をゆくデ4号+12号電車+コキ200(銀タンコ)。
電源車デ形での20トン電車の運転は、巷説では”化学薬品を扱う工場構内にて着火源となる架線からのスパーク(火花)を無くすため”として言及され、一番のアピールポイントなっています。引火性のある化学薬品を扱う工場構内(専門的には”爆発性雰囲気”という)において、”防爆”がレゾンデートルとなっているのですが、じつは文献(*1)には該当する記述がありません。
蒸気機関車の代替機の選択肢から、電源車導入に至った経緯については必ずしも明確ではありませんが、三池鉄道の既存環境が大きく後押ししたように思われます。すなわち、すでに入換用に適した小型電気機関車が複数台、かつ同型で在籍していたため、電源車という付随車新製が”コスト的”にもっとも優れていたということになります。電気機関車側は小改造で済むことも大きなメリットとなります。もし20トン電車がいなければ、おそらく内燃機関車か、必要ならば蓄電池機関車が登場していたのではないでしょうか。
このあたりの経緯については、電源車デ形について①でも触れました。
ところで、記事中に「防爆」の文言がまったくないという訳ではなく、一ヶ所その記述がみられますので引用しておきましょう。蓄電池の付属品として「防爆形排気せん。客先仕様では防爆の必要はないが充電中に水を分解して酸素と水素を発生するので、電池の付近で裸火を使用したりスパークを飛ばしたりすると爆発の危険性がある。よって潜水艦などに使用して実績のあるセラミック防爆形排気栓を使用し、爆発によって電池を壊したり、人命に危害を加えたりしないように安全性を重視した設計にした」とあります。鉛蓄電池は原理的に水素と酸素の発生が不可避なため、そのガスが溜まった電池槽内に火花が入らないような工夫が必要となり、一方、ガスそのものは安全に外気に拡散されます。蓄電池自体にこのような水素爆発の危険性があることはあまり言及されていませんでした。そういえば、三池港本庫の前にあった電源室(おそらく精製水等が保管)に、”火気厳禁”の看板が掛かっていたのは、このような理由があったように思われます。
(*1)鵜沢正治・山司房太郎「三井鉱山三池港務所電源車 新設計蓄電池を搭載」『東芝レビュー』1963(S38)年10月 東京芝浦電気発行
0 件のコメント:
コメントを投稿