2025年2月10日月曜日

三池の絵葉書から⑤ 宮浦駅

マイコレクションから宮浦駅の絵葉書🐱
宮浦駅に1990年代まで姿を留めていた石炭ホッパーについては既に2回にまとめましたので、絵葉書から初代ホッパーを取り上げてみます。正しくは”選炭場”と呼ばれる炭鉱施設になり、宮浦駅石炭ホッパー②で取り上げた鉄筋コンクリート建屋の先代にあたります。


絵葉書は「三井三池宮の浦炭坑 Miyanoura Pit,Miike coal Mine」と題した一葉。YSと署名がありますが、これは山田商店の発行を示す略号で、山田商店(山田屋とも)は築町に本店、不知火町(大牟田駅前)に支店、それに大牟田駅待合室に売店があったようです。三池炭鉱との関係は不明ですが、もっとも多くの大牟田絵葉書を発行販売したと思われます。


撮影年代を特定できるものが少ないですが、1888(M21)年より操業を開始した第一立坑しか見えないこと(第二立坑は1919(T8)年開坑)、見える範囲の炭車は4トン車が主力となっていることから、明治後半から大正前半までの間と思われます。
選炭場の5線ある積込線には4トン炭車と8トン炭車が入線していますが、左側2線の入口はやや高くなっているものの、それ以外は炭車ギリギリの高さしかありません。4トン炭車の全高は1962ミリでしたので、おそらく一番低いものは2300ミリも無いのでは。ちなみに8トン炭車の全高は2248ミリです。宮浦坑は鉄道開業時以来の操業坑だったため、当初の4トン炭車の規格に合わせたと考えられますが、他の坑口(七浦・勝立・宮原)も同様でした。積込設備上の制約のため、大型炭車の導入が見送られていた経緯がありましたが、他坑口はそのまま閉坑していくなか、宮浦坑については大型炭車に対応した鉄筋コンクリート造りの選炭場を新築しています。

ところで、この絵葉書はコレクション的には珍しいものではないのですが、面白い”現象”を発見しましたので紹介します。下の絵葉書は「三井三池宮の浦炭坑 Miyanoura Coal Mine Miike」、津村写停車場山田発行(”写”は旧字、”津村”は撮影者か?)です。見ての通り、まったく同じ絵葉書なのですが、汽缶場の煙突が2本に!
じつは最初の絵葉書をよく見ると、横切る電線が途切れており、意図的に煙突1本を消去していました。おそらく下の絵葉書が写真原版のままなのでしょう。わざわざ煙突を消した理由は謎です。

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