2025年3月2日日曜日

三池の絵葉書から⑥ 絵地図

マイコレクションから、今回は地図の絵葉書🐱絵地図ものもコレクターには人気あるアイテムです。三池炭鉱の場合、わたしの知るかぎりでは今回の大牟田全図のほかに、もうひとつ三池港全図もあり、いずれも豊富に流通しています。ただし、色塗りものだとコレクション的には珍しいように思います。
絵葉書には”停車場山田発行”とあり、大牟田荒尾の絵葉書を多数発行した山田商店から出ています。キャプションは「PUBLISHED BY YAMADA'S ŌMUTA STATION THE MAP OF MITSUI'S MIIKECOAL MINE AND MIIKE HARBOUR」とすべて英語。地図中も主だった施設にはカタカナに英語が振られています。絵葉書は、三池港に寄港した外国人船員たちの手軽な日本土産として販売されていたと思われ、今でも海外の古書サイトなどでしばしば見つかります。
地図をみると、三池港は開港していますが、坑口は大浦-宮浦-七浦-勝立-宮原-万田まで四ツ山がまだありません。タイトルは”大牟田町附近”ですが、大牟田は1917(T6)年に市制施行していますので、地図の情報としては1909(M42)~大正初め頃となると考えられます。


なかなか楽しい地図なので、いくつかズームアップしてみましょう。
大浦(ヲヲウラŌURA)坑と七浦(ナナウラNANAURA)坑の間には、”ROOPWAY”と書かれた点線が結ばれています。これは大浦坑の出炭を七浦坑の選炭場まで輸送するための坑外軌道線(軌間18インチ≒457ミリ)で、1899(M32)年に開通しました。エンドレスロープによる循環運転でしたが、1917(T6)年に電気機関車牽引に改変されています。絵葉書では”ROOP”とあるので、エンドレス軌道時代と分かります。


三池港は隙間なく描きこまれていて拘りを感じます。特徴である閘門(コヲモンWATER GATE)や船積機(フネツミキLODING MACHINES)も見えます。開港当初の港湾事務は船渠南側に集中していました。つぶさに見ると港務部(コヲムブHARBOR DEPARTMAENT←綴りは誤り)となっていますが、実際には1909(M42)年に港務所に改称されています。クラブ(CLUB)とあるのは三池港倶楽部ですが、高級船員向けの接待所でした。


今となっては残っていない地名も多く見つかります。大牟田川河口の”スノハナ”や”ヨコズ”はもはや通じないのでは。絵葉書中央の”片平山”も地図上には記されることが無くなりましたが、今の延命公園の一帯です。山頂には大牟田を見渡すことができる展望所があります(戦時中は高射砲陣地があったという)。

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