この記事は『HP炭鉄』からのサルベージ&リペアになります。
宮浦駅に石炭ホッパーが姿を留めていた頃の写真をまとめます🐱
1969(S44)年宮浦坑は三川坑との統合により閉坑となりましたが、宮浦石炭記念公園(大斜坑跡)の解説板によれば、1990(H2)年までは大斜坑(1923(T12)年開坑)にて人員や資材搬入が行なわれました。写真は1990年3月に撮った宮浦駅舎正面の光景です。崩れかかった坑外建屋が確認できますが、残念ながら宮浦坑側からは記録していなかったので、何の設備なのかは分かりません。
宮浦駅には2基の石炭ホッパーが残っていました。それぞれタイプが異なり、三池浜寄りには鉄骨組みの1線式ホッパー、万田寄りには鉄筋コンクリート製の5線式ホッパーが建っていました。まずは1線式ホッパーから見てみます。
足元の9号電車と比べると、ひょろっと背の高く好ましい形態です。線長は炭車2両分ぐらいのサイズでしょうか。ただし、わたしが見たときにはすでにホッパーへの給炭設備を失い、孤立したような状態でした。
まずホッパーのスペックですが、「15000屯出炭に対応する鉄道輸送とその施設」(*1)によれば「特粉」と称する粉炭が扱われ、1ピット(貯炭槽)容量50トン×3槽のホッパーとなっています。さらに『模景を歩く』(*2)にて、もっと近接して模型的な視点から紹介されており大いに参考になります。同著より三池鉱業所提出の概略図によれば、側面は12100ミリ(脚間はそれぞれ4050/4000/4050ミリ)、線路面径間3140ミリ、上部覆屋を含めた高さ14950ミリとなっています。積込口下端は地上3600ミリあり、セナ形炭車(=セラ1形/全高3070ミリ)への積込も可能。積込口は手動(錘式)で宮浦坑面に架台、両端に階段がありました。
ホッパーの三池浜側にある鉄骨で組まれた足場のようなものはベルトコンベア施設跡です。ベルトコンベアは宮浦坑(および打込ピットから)からコークス原料となる石炭(原料炭という)を送炭するための施設で、宮浦坑から操車場と宮浦駅舎の上空を越えて、三井コークスの精炭槽の間に架かっていました。ホッパーには、この本線ベルトから分岐したベルトコンベアが架かり、浜側側面には取付跡が残っていました。
続く。
(*1)『三池時報』三井鉱山三池鉱業所1962
(*2)ネコ・パブリッシング2003(改訂新版2018)