直近情報になりますが、ステーションゼロの2025年1月の公開日は1月25日と26日となりました。26日(日)は万田坑と同時運転日となります。以降、公開予定については公式インスタをチェックされたし。
本題。
三池鉄道線内にて使われた社形炭車についてまとめます。
前記事はこちらより🐱
炭車略史①にて炭車4形式(4~7~8~16トン)を通観しましたが、時代的には戦前編となりましたので、略史②は戦後編となります。戦中期については資料が乏しいですが、炭車については新形式が導入された形跡が見つかりませんでした。以下、時代背景的な推論になりますが、戦局悪化につれて三池港からの海上輸送が次第に困難となり、もっぱら大牟田荒尾経由の鉄道輸送にシフトしたためではないかと考えています。
戦後間もなくして炭車増備が再開されましたが、新製車ではなく、国鉄からの譲受車で賄われるようになったのが戦前期との大きな違いとなります。ただし、三池入線後に社内にて更新や修繕がその都度行われたため外観にヴァリエーションが生まれたほか、制動機に改造が加えられています。
10トン積炭車の登場(1947(S22)~)
10トン炭車は、国鉄(正しくは運輸省鉄道総局)セ50形10トン積石炭車を譲受してセ形としたグループです。国鉄では、1947(S22)年の「第一次貨車特別廃車」によって大量の老朽貨車や不良貨車を廃車としましたが、その一部は民間企業に払い下げられています。三池においてもセ50形のほか、無蓋車を大量に譲受しています。
セ形はセ1001号~から附番されました。セ形の詳細は不明点が多いのですが、番号体系からすると合計260両を越える両数となっています。竣工図表より、その履歴は3パターンが確認できます。
①国鉄セ50形→三池セヤ形として入線→セ形に改称改番
②国鉄セ50形→三池セ形
③三池セヤ形→増トン改造しセ形に編入
セ形は三池入線時ですでに老朽車だったこともあり廃車ペースは速く、昭和40年代までには大部分は廃車になっています。ただ1両、石炭車としての用途ではありませんでしたが、セ1026号が九電港発電所構内の作業用として残っていました(文献*1)。
(文献*1)『RAILFAN778号』「三井三池専用鉄道の車両6」に写真あり。
セヤ形炭車・セロ形炭車の連結器交換(1952(S27)
三池貨車は、開業当初より連環式連結器を採用してきましたが、戦後国鉄より大量の自動連結器車両が入線したことにより、ようやくながら社形車両の自動連結器交換がおこなわれました。その施行は1952(S27)年に竣工しています。このうち、セヤ形は改造車よりセヤ2001号~に改番されました。
15トン積炭車の登場(1958(S33)~)
15トン炭車は、国鉄セム1形15トン積石炭車を譲受してセコ形としたグループです。1958(S33)年より譲受を開始してセコ1号~より附番、1969(S44)年までの長期にわたり増備して合計325両となっています。導入途中、一部は屋根カバーを設けて燐鉱石ホッパー車(ホロ形)に改造されたのち、セコ形に復帰した車両があります。
戦後、次々と譲受車が入線したことにより、昭和40年代初頭の炭車はかなりのヴァリエーションとなっていました。参考までに1967(S42)年5月の在籍炭車は以下のようになっていました。この時点では両数的にはセコ形がおよそ半数を占めていましたが、車令的には戦前のセロ形のほうが若いため、この後の廃車ペースはセコ形が先になります。一方、セ形とセヤ形は終焉期ですね。
セロ形16トン積炭車 162両
セ形10トン積炭車 100両
セヤ形8トン積炭車 48両
セコ形15トン積炭車 286両
17トン積炭車の登場(1975(S50)年~)
17トン炭車は、国鉄セラ1形17トン積石炭車を譲受、セナ形としたグループです。1975(S50)年より譲受を始め、セナ001号~を附番しました。国鉄の九州石炭輸送の終焉期にあたり、まとまった両数での譲受がおこなわれ、合計358両が増備されています。このうち、セナ291号~308号は元三井鉱山所有の私有貨車ホラ1形セメント17トン積ホッパー車となっており、炭箱形態が異なっていました。
セナ形は三池鉄道が最後に増備した炭車となり、1997(H9)年3月の閉山まで稼働しています。最終期はセナ形のみで編成が組まれ、火力発電所への燃料炭輸送が行われました。
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