単発ネタをメモ、以降の課題資料とします。
今回は玉名線の記事から🐱
今回は玉名線の記事から🐱
原万田~平井間を結んだ玉名線(4.1キロ)は、通勤列車が走った路線として知られていますが、もとを辿れば”三井化学工業専用鉄道”として敷設された純然たる産業鉄道でした。通称、玉名専用鉄道。1944(S19)年の運輸開始以来、実質的に三井鉱山が運営していましたが、1961(S36)年10月三井鉱山に譲渡、玉名線となります。
1969(S44)年刊行の『荒尾近代史』(*1)より交通機関の章にて、玉名線に触れた記事がありましたので引用しましょう。なお、”炭鉱電車”という呼称を使っていることも注目されます。
「昭和24(1949)年2月1日に開通した四ツ山、緑ヶ丘間の炭鉱電車は、緑ヶ丘に居住する一万名の三井系炭鉱並びに会社従業員とその家族の通勤、その他の弁に供せられているが無賃であるので、三井関係従業員とその家族以外の乗車は禁じられている」
文中、”1949年2月1日開通”とありますが、これは路線の竣工開通日ではなく、平井駅まで通しで通勤列車が走った日付と思われます。三池港務所がまとめた年表によれば、三池港~平井間の通勤列車は以下の3段階を経て延長されています。
1948(S23)年5月大谷~西原間開始
1948(S23)年11月西原~三池港間開始
1949(S24)年2月大谷~平井間開始
刊行時点(1969)では、三池鉄道は”地方鉄道”として営業(1964~1973)していたので、誰でも乗車できたはずなのですが、文中では従業員及び家族のみの乗車が可としています。地元でも三井関係以外の住人は乗り難い雰囲気があったのか、勘繰ってしまいますね。無論、無賃ではありません。
通勤列車が走り始めたのは玉名専用鉄道時代ですが非電化での敷設でした。以下の記述から、当初は蒸気機関車が客車牽引していたことが分かります。これは貴重な資料となります。
「この炭電は最初明治三五年式八号型蒸気機関車を用いていたが、昭和27(1952)年3月より、電気機関車に切替え、現在に及んでいる」
”明治三五年式8号型”という何やら格式ばった形式で呼ばれていますが、これはH.K.Porter製の22トンクラスのことです。三池鉄道では、1902(M35)年から8~16号を同一形式で揃えて長年愛用されました。ポーター蒸機の牽く客車列車、残念ながら映像資料は未見ですが、4年に満たないわずかな運用期間でしたので、見つかれば大発見もの間違いないです。
(*1)荒尾市郷土資料作成委員会編 1969(S44)荒尾市教育委員会発行
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