マイコレクションから、今回は四ツ山坑の絵葉書🐱「北方より見たる四ツ山坑 Yotsuyama mine」山田屋本店撮影です。四ツ山坑絵葉書は東西南北の視点から豊富に発行されましたので、何度か取り上げていくことになるでしょう。
四ツ山坑は、揚炭坑口としては万田坑に次いで開鑿されました。第一立坑が1918(T7)年に開鑿に着手され1920(T9)年に着炭、1923(T12)年3月より操業を開始しています。『鉱業所沿革史』によれば、開坑の理由および目的として「主として海底の採炭および入気坑として三池港南方四ツ山の西麓海岸に新しく立坑を開鑿することとなったのが四ツ山立坑である」とあります。万田・宮浦の両坑道が西へと延びるつれて、万田坑は大断層にぶつかったこと、また宮浦坑については坑道距離が延びて、坑内環境の悪化により採炭効率が悪化していたこともあり、当時の海岸線ぎりぎりの場所に新規に開鑿されました。
絵葉書の中央に聳えるのは四ツ山第一立坑、坑口の直上に巻揚機を据えた立坑櫓は”タワーマシン(Tower Machine)”型と呼ばれます。鉄筋コンクリート製の櫓は152フィート10インチ(約47m)の高さがありました。四ツ山坑のシンボルとなる建造物です。絵葉書では分かり難いのですが、右手はすぐに海岸線、左手に少しだけ見える斜面は二頭山(四ツ山)の山裾です。海岸は選炭場からのボタ(硬)捨て場として次第に埋め立てられて、大島貯炭場や四ツ山社宅となりました。
ちなみに万田坑のような地上に巻揚機を設置したタイプは”グランドマシン(Grand Machine)”型です。絵葉書では第一坑に隠れていますが、第二立坑はグランドマシン型となっています。
写真は北側からの撮影なので、三池港船渠を背にして線路は手前が四山支線の終端側になります。四山支線は1923(T12)年3月開通、電化竣工も同日としており、これは四ツ山坑の開坑日と期日を合わせています。『鉱業所沿革史』に「鉄道の連絡少しく不便なり」と記されているように、 三池本線からの分岐線となっており、選炭場近くに四ツ山駅を設置しました。絵葉書では選炭場の向こう側に駅務所が設けられています。
絵葉書からは離れますが、三池鉄道には四ツ山駅を名乗った駅は3回登場しています。以下に簡単に整理してみました。
①四ツ山駅(Ⅰ)→1920(T9)年5月港駅に改称
②四ツ山坑開坑にともない1923(T12)年3月四ツ山駅(Ⅱ)を設置→1954(S29)年1月廃止
③1926(T15)年5月大島駅を設置→四ツ山駅(Ⅲ)?
四山支線の四ツ山駅(Ⅱ)から、三池本線の四ツ山駅(Ⅲ)(←旧大島駅?)の改称時期が不明です。
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