2024年10月12日土曜日

三池の絵葉書から④

先月の2024年9月22日(日)は、万田坑12号電車の運転日(第4日曜)と、ステーションゼロ19号の運転日(第3土日)が偶然にも重なり、初の同時開催日となりました。はたして相乗効果は如何。ちなみに運転日の曜日パターンに変更がなければ、1日(日)となる月間のみが22日(日)に同時開催となるので、この先は2024年12月、2025年6月、2026年2月と意外に少ない😿


マイコレクションから勝立坑の古絵葉書🐱
「三井三池炭礦勝立坑」は熊本市西通町濱田印刷発行です。濱田印刷の詳細は不明ですが、検索した限りではおもに熊本県内の絵葉書がヒットします。わたしも他に万田坑絵葉書を所蔵していました。鮮明な印刷で資料性が高く、三池シリーズとして発行されているならば、是非ともコンプリートしたいところですが、出物はほとんど見かけません。
ところで勝立の読み方ですが、現在は”カツダチ”とするのが正式です。今回の絵葉書には英語振りが無いのですが、手元にある他の絵葉書を見ただけでも、”KACHIDACHI”、”KATSUTATE”、”KATSUDATE”、”KATSUDATSU”、”Cattachi”と実に様々。地元の人の発声では、わたしには”カッダチ”に聞こえます。


勝立坑は、三池炭鉱の近代坑口ではもっとも東に位置します。官営時代の1885(M18)年11日開鑿着工、有力坑として見込まれて鉄道敷設が計画されるほどでしたが、湧水多量のため難航します。三井の経営に移ってからも工事が再開されましたが、1889(M22)年7月金峰山地震(明治熊本地震)により完全に水没したため、團琢磨の提案により英国製デビーポンプを導入、デビーポンプは遺憾なく威力を発揮して1893(M26)年排水に成功、1898(M28)年4月より操業を開始しています(勝立第一立坑)。勝立坑開坑の経緯は三井三池創業時のエピソードとして必ず語られて、三池炭鉱の明治大正期を支えた坑口のひとつとなりました。第二立坑は1895(M28)に開鑿着工、同年中に開坑。


勝立駅は勝立線の終点となる駅です。絵葉書中央に見えるのが駅舎。1893(M26)年12月免許を受け、1894(M27)年3月運輸開始しました。一段高い位置に揚炭坑口を設け、選炭場から炭車に直接積込む施設配置は、万田坑などの他の坑口と同様です。選炭場の裏側に遷車台があり、積込線に炭車を振り分けます。右端の上がっていく線路は汽缶場線。手前側の汽缶場煙突は八角形の断面となっているのが珍しい。勝立線の電化は1920(T9)年10月なので、絵葉書はそれ以前に撮影されたものとなります。

勝立坑は1928(S3)年6月閉坑し、坑外施設はすべて解体されました。同年12月までに勝立駅構内線が撤去、勝立線も1932(S7)年3月に撤去されました。勝立駅構内跡は2000年代初頭までグラウンド?として空き地になっていましたが、今は区画整理された住宅地となったため、絵葉書と同じ位置に立つこと出来ません。下の写真は住宅地となる以前に、第二立坑基礎跡を望んだ構図ですが、おそらく選炭場があった付近と思われます。


勝立線は戦時中に再敷設され1969(S44)年1月に2度目の廃線となりますが、絵葉書からは離れますので、この話は別の機会に。